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秋田県大仙市公式ブログ

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「戊辰戦争史跡のしだれ桜」満開に

太田町国見の角館六郷線沿いに、「桜」という名称のバス停が存在します。
ここにも一本の枝垂桜があり、「戊辰戦争史跡のしだれ桜」として知られ、大仙市さくらマップの観測地点ともなっています。

ここが戊辰戦争史跡とされるのは、竹村庫乃丞(くらのじょう)という人物が大きく関連します。★IMG_6154今から150年ほど前、慶応4年(1868年・戊辰の年)1月、幕府側と討幕派による壮大な内乱である戊辰戦争が始まり、同年8月には明治新政府と奥羽越列藩同盟が衝突。ここ奥羽一帯も戦場と化しました。
太田地域の国見地区でも激戦が繰り広げられ(国見村の戦い)、この戦いの中で角館軍監の竹村庫之丞が壮絶な戦死を遂げました。
慶応4年8月23日、庫之丞は国見の続き橋付近で仙台藩と交戦中、角館隊苦戦の急を友軍に知らせようと隊を離れたところ、進行中の仙台藩兵に遭遇。敵兵に取り囲まれ腹部に貫通銃創を負い倒れましたが、なお太刀を抜き、近寄る敵兵を切った・・・と、その勇敢ぶりが伝えられています。★結果、庫乃丞は37歳の若さで討ち死にとなりましたが、この武功を称賛した村人が庫乃丞の武勇を讃えるため同地に石碑を建て、庫乃丞の家族が供養のため枝垂れ桜を植えたのだそうです。
IMG_6160IMG_6157

先日、私が写真を撮りにこの地を訪れると、この桜に向かってスマートフォンを構える先客がおり、「通りがけ、美しさに思わず写真を撮りたくなった。また、ここに桜が立っている謂(いわ)れもどこか儚(はかな)く、枝垂桜のイメージとあっているような気がする」とお話を伺うことができました。

確かに、開花すると優美な桜の花も、咲いてしまえばあっという間に散ってしまいます。
その美しくもどこか儚いイメージが、若くして戦死してしまった竹村庫乃丞と重なり、見る人の心を掻き立てるのかもしれません・・・
★戊辰戦争史跡シダレザクラ2枝垂桜は今年も満開の花を咲かせていました。

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今回は桜のシーズンに合わせて、太田地域にある桜の老木を4本紹介させていただきました。
それぞれが歴史と存在している意味を持ち、地域の人々に見守られながらそこにあることを再確認できました。
来年もまた、美しい花を咲かせてくれることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

「作エンの桜」満開に

太田町国見新山地内。
ここに、静かに佇む一本の枝垂桜があります。★IMG_6107この枝垂桜は「作エンの桜」と呼ばれ、長きにわたって地域の人々に親しまれてきました。
その推定樹齢は300年以上、平成元年には旧町の、平成17年には市の有形文化財の指定を受けています。

「作エン」という名称は、生息地の屋号が藤沢作右衛門(さくえもん)であることに由来し、ここに住む藤沢氏が角館の佐竹氏に勉学の進講(講義)をした際に、佐竹氏から褒美としてこの枝垂桜が下賜されたと伝えられています。
★IMG_6111仙北市角館の桜と並ぶ長寿の枝垂桜とされ、大きく下がった枝の奥には、幹周り約3.3メートルの太い幹がずっしりと構えており、名のある武家の桜にふさわしい外観が印象的です。

近くに住む60代の男性は「私が子どものころはすごく良い枝ぶりで、よく木登りをして遊んだ。満開の桜の木の下で遊んだり花見をしたりするのは楽しかったが、今では枝振りも落ちてだいぶ老木になってしまった」と枝垂桜との思い出を語っていました。

かつては藤沢家の庭木として管理されていましたが、今は人の手を離れ、ひっそりと静かに生息しています。
★IMG_6102★IMG_6112「作エンの桜」は今年も、周辺の桜の木々と共に美しい花を咲かせていました。
主なき後も、この地の春を守らんとするかのように。