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秋田県大仙市公式ブログ

わらび座・鈴木裕樹さん 成人式で講演(公演)

8月15日、大曲市民会館を会場に新成人599名が出席し大仙市成人式が開催されました。

記念アトラクションとして今年は、劇団わらび座の舞台俳優である太田地域出身の鈴木裕樹さんの「成人おめでとうステージ」が行われました。

裕樹さんの持ち時間は30分、ちょっとした歌やお芝居をするのかなと思っていたところ、ステージには演台とマイクがセットされ、あれ?公演ではなくお話しをする講演でした。裕樹さんの講演要旨を紹介します。

みなさん、成人おめでとう。
成人したからと言って自分の内面はそんなに変わらないし、成人だという自覚もあまりないと思う。でも、自分の経験からして、親は自分の子どもが成人したことに何か特別なものを感じていると思う。
私は今36歳、6歳になる娘がいる。仕事をしながら子どもを育てるというのは大変だと感じている。子どもは朝起きて寝るまで遊ぶことばかり考えている。娘にお父さん遊ぼうと言われて、子どもと一緒に遊びたい気持ちと、子どもについていけない体力との葛藤は大変なものがある。
娘が3歳の誕生日の日、ちょっと目を離したすきにアパート2階の階段から転げ落ちて救急で診てもらった。幸い娘は大事には至らなかったが、その病院の帰りに右手で娘を抱き、左手で娘の誕生祝いのピザを持ち、今度は自分が階段でつまずいてしまった。両方の手がふさがっていたために娘をかばうことが出来ず、娘が大量の鼻血を流しているのを見て、自分の不注意で娘にけがをさせてしまい、オレは何をやっているんだ、自分をぶっ殺してやりたいと思った。幸運なことに娘の顔に傷跡は残らなかったが、このような親と子のたくさんのエピソードが積み重なって今がある。これまで育ててくれた親に感謝のことばを伝えたら、素敵なことだと思う。

今年6月に大阪公演があり、ホテルで朝食の最中に大きな地震があった。
小学校のプールのコンクリート壁が地震で倒壊し、女の子が犠牲になった日である。
私は大きな揺れを感じてすぐに避難したが、中国人観光客は避難することなく大声で日常会話を続けていて、あ然とした。彼らは何をおおげさに、ビビり過ぎだなどと思ったかもしれないが、東日本大震災を経験した私は、わずか数時間で日常のすべてが無くなることを忘れないようにしている。
結婚して子どもが生まれ、守っていかなければならない家族を持ち、家族を守るためには自分の命を守らなければならないことに気がついた。大変なことが起きた時、自分の命を守るためにはどう行動するかを考えるようになった。自分なら大丈夫とか、逃げないのは男らしいとかといった考えは間違い。自分の命を守るため、家族を守るためには、カッコ悪いなどと思っていては責任が取れない。

私は先生になるために秋田大学に入ったが、入学後は勉強が面白くなく、目標が持てずにバイト、飲み会、麻雀などに明け暮れた結果留年が決まり、大学をやめると親に伝えた。
このとき私は、自分がやりたいことしか続けられない、いいかげんな人間だと分かった。
みんなは、まず教員免許を取って、それからやりたいことをやればいいと言うだろうが、私はそれができなかった。まわりの人たちができていることが、私にはできない。
親にはたいへんな思いをさせた。
それなら自分には何なら続けられるか、ずっと仕事としてやっていけるかを考えたとき、小さなころから歌うことが好きで、また目立ちたがり屋であったことを思い出し、人の前に立ってお芝居をすることなら続けられる、そしてそれが仕事になるならという希望が持てたので、わらび座に飛び込んだ。歌えない、踊れない、芝居もできない、全くの素人であったが、わらび座養成所での生活は充実していた。
そして28歳のときに「アトム」の主役トキオ役を演じた。これは手塚治虫のアトムを下地にしたミュージカルで、アトムは出てこないがアトムの心を持ったロボットが、親友のロボットを人間に殺され、その復讐のために人間を殺そうとするみんな(ロボット)を引き留める役であった。広島で終演後にロビーでお客さんをお見送りしたとき、年配の男性からくしゃくしゃにしたアンケート用紙を渡された。それには、自分にとって大事な人を殺されたやるせなさや悲しい思いはこんなもんじゃない、といったようなことが書かれていた。このとき私は、大事な人を奪われた人の想いを全く理解できていなかった、自分の仕事が観る人に届いていなかったと気づいた。

私の仕事は、観る人に、前を向いて歩きだそうというインパクトを与えることだと思っている。いま私は、自分の仕事にやりがいと責任と誇りを持って日々、舞台に立っている。
自分にとってのターニングポイントは、24歳で大学を辞めたときだったと思う。
自分の人生、リセットはできないがリスタート(再出発)は何度でもできる。
いま私は36歳、必死になって舞台に立っている。

3年前に私は「どどぉ~ん!大曲花火物語」で創造花火の発案者である佐藤勲さん役を、ミュージカル「為三さん!」では主役の成田為三役を演じた。佐藤勲さんは1987年にドイツで創造花火を上げた。当時は西ドイツと東ドイツとの国境は「ベルリンの壁」で仕切られていたが、その時に「ベルリンの空には壁がない」とスピーチしたと言われている。花火は必ずしも丸くなくていい、四角でも三角でもいいじゃないか、という佐藤勲さんの発想から創造花火が生まれた。大曲の花火を押し上げた素晴らしい人である。成田為三は、秋田の田舎から東京に出て、さらにはドイツに留学し、日本を代表する作曲家となった、これまた素晴らしい人である。秋田で生まれても、秋田にいても、このような素晴らしい仕事をした人たちがいる。
私は自分が生まれ育った秋田が大好きで、秋田で好きな仕事をしている。
新成人のみなさん、できれば秋田で結婚し、秋田で子どもを育て、秋田で生きていって欲しい。私の願いである。

ステージ終了後、裕樹さんの楽屋へ伺うと「いや~きょうのステージは大変でした。お芝居の方がよっぽど気が楽です(笑)」との感想。講演の最後には、「どどぉ~ん!大曲花火物語」と「為三さん!」の挿入歌を歌う場面もありましたが、新成人への講話ということでとても気を張ったようでした。

講話では、どのエピソードも新成人へのメッセージが強いものでしたので、記憶の限りお伝えしようと努力しました(笑)
地元で頑張る先輩、36歳という年の近い先輩が話す言葉に、新成人の皆さんも真剣な表情で耳を傾けていました。
「親への感謝を忘れずに」「自分のため、家族のために命を守ることの必要性」「人生のリスタートは何度でもできる」「秋田で生きて行ってほしい」
裕樹さんのメッセージ、新成人の皆さんに確かに響いたと思います。
裕樹さん、講演ありがとうございました。

Posted under: 太田地域

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