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オリンピックメダリスト・ワイナイナさんが太田にやって来た

10月6日(土曜日)太田地域で奥羽太田ロードレース大会が、奥羽山荘駐車場を発着とする日本陸上競技連盟公認の特設コースで、市内外から約150人の選手が参加し開催されました。
今回は第20回の記念大会で、ケニア出身のエリック・ワイナイナさんをゲストランナーに迎えました。
ワイナイナさんはオリンピック3大会連続出場されたマラソンランナーです。アトランタオリンピック(1996年)銅メダル、シドニーオリンピック(2000年)銀メダルと2大会連続の偉業を達成、アテネオリンピック(2004年)でも7位入賞を果たしています。マラソンの自己最高記録は2時間8分43秒。

好物はどんぶり物というくらい日本の生活に溶け込み、子どもたちと一緒に写真撮影に応ずるなど、気さくで笑顔がはじける心優しいランナーでした。レース前には準備体操や、足のけり、腕の振りなど早く走るコツなどを選手に伝授。その後、子どもたちと一緒に走ってくれました。
秋晴れのこの日は、ぐんぐん気温があがり、5キロ、10キロがスタートするころは30度を超える夏のような暑さになりましたが、日本陸連公認コースを走る選手は、順位に加えて自己タイムを更新するとばかりに一生懸命走っていました。

レース終了後は、FMはなびのエグゼティブプロデューサーの福原尚虎さんが司会し、 ワイナイナさんのトークショーが開かれました。
ワイナイナさんは「子ども時代はサッカーに夢中になり、走ることにはあまり興味がなかったが、走りが早いことを見ていた先生に進められて6キロのロードレースに初めて出場したら、いきなり優勝し、自分は早いんだということがわかった。子ども時代を過ごした地域は電気も水道もなく、片道5キロを走って井戸へ水を汲みに行き、10リットルのバケツの水を両手に持ち帰った。勉強は好きで、でも電気が無かったので夜勉強することができないために、学校で一生懸命勉強した」ことなどが話されました。
ワイナイナさんは、ときどき正月恒例の箱根駅伝でおなじみの日本の大学の留学生に間違われるそうですが、高校卒業後の1993年、19才のときに一人で日本に来てコニカミノルタ陸上競技部に所属し、翌年の北海道マラソンでいきなり初マラソン初優勝を飾り、その後も東京国際マラソン、長野マラソンなどさまざまなマラソン大会で優勝し、オリンピック2大会連続メダリストとなり、現在も100キロマラソン大会などに選手として出場しているそうです。日本に来て最初に指導を受けた監督は、秋田県出身の方だったそうです。
赤道直下のケニア共和国は、とても暑い国だろうと思っていたら、ワイナイナさんが育った地域は標高2,400メートルを超える高地で、真夏でも気温は28度程度と涼しく、また高地のために気圧が低く、現在は世界各国のマラソン選手などが高地トレーニングに訪れるそうです。
生まれながらの環境と井戸へ水を汲みに行った子ども時代の経験、そしてワイナイナさんが好きな言葉である「Never give up(決してあきらめない)」という強い気持ちが、ワイナイナさんをマラソンランナーとして強くしたようです。
「食べ物はどんなことに気をつけていますか」という中学生の質問に「選手はドーピング検査があるために、風邪をひいても薬を飲んだり、また簡単に湿布を貼ったり薬を塗ったりできない。目薬でもドーピングにひっかかるため、常に体調を維持し、ケガをしない丈夫な体を作るためには、食事が非常に重要。好き嫌いなくどんな物も食べています」との答え。また「好きなくだものは何ですか」という質問には「バナナです。バナナは栄養が豊富で、レースの前には必ず食べます」とのこと。
日本に来たときは、全く日本語を話せなかったそうですが、独学で日本語を学び、いまは流暢に日本語を話します。東京での生活が25年となり、日本が第二の故郷となったそうです。
「子どもたちにメッセージを」というお願いに「やればできる。やらなければ何にもできない。ネバーギブアップ、決してあきらめないという気持ちで、いろんなことに挑戦して欲しい」と話してくれました。

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