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秋田県大仙市公式ブログ

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手記集「私の昭和」を発行しました

平成も31年となり、「昭和」がだんだん遠くになってきました。
現在、市民の多くは昭和の戦後生まれですが、やがて昭和の記憶が風化されてしまうおそれがあります。
そこで太田支所では、昭和時代の暮らしや体験、地域の様子などを記録し、戦後の平和で豊かな地域づくりを多くの世代へ語り継いでいくため、平成29年秋に「私の昭和」をテーマにした手記を募集したところ、太田地域内外の31人の方がたから手記を寄せていただきました。
また、過去に広報「おおた」に連載した「鈴木町長が語る町の履歴書」と「明治の男女(ひと)」、そして「時代(とき)の証言」をあわせて太田の昭和の記録として再録し、手記集「私の昭和」(A4版・68ページ)を発行しました。

大正15年生まれの鈴木正吾さんからは、尋常高等小学校から大曲農学校にいたる学校時代から始まり、就職・入営、軍隊生活、終戦復員、そして復職、戦後の復興を400字詰原稿用紙30枚に達筆な字で半生を綴っていただきました。
小田野幸子さん(昭和6年生まれ)は、ピアノを支えに辛い生活を耐えてきたこと
学習院初等科の科長(校長)を務められた髙橋義雄さん(昭和9年生まれ)は、皇族の宮様がたとの交流などの思い出を
福岡功一さん(昭和17年生まれ)は、両親が農地開拓により入植して80年になり、苦労した開墾生活を
鈴木徹さん(昭和22年生まれ)は、身近にある石や棒、枝や紐などで全身を使う昭和30年代の子ども時代の遊びや、木の実、草の実を食べて腹の足しにした野山からのめぐみの思い出などを
髙橋清一郎さん(昭和27年生まれ)は、20代のころ「ギニア共和国の国土基本図を作る」という壮大なプロジェクトに携わった(のちにこの作業はNHKのプロジェクトXに取り上げられ、清一郎さんも登場した)ことを
鈴木弘之さん(昭和31年生まれ)は、昭和45年に太田中学校野球部が初めて全県大会に出場し、準決勝で敗れたが、太田中学校野球部の活躍で当時の太田は「金農旋風」のような現象が起きていたことを
鈴木和賀子さん(昭和38年生まれ)は、運動部の部活動は排球(はいきゅう)部、篭球(ろうきゅう)部などの漢字の名前だったことや高校受検は国語・数学・英語の3教科だったことなど中学時代の思い出を記してくれました。

また、「鈴木町長が語る町の履歴書」(広報「おおた」平成5年5月号から15回シリーズで連載)は、昭和26年4月に長信田村長、昭和30年5月には初代太田村長に就任し、平成7年4月に太田町長を退任するまで通算8期にわたって町勢発展のリーダー役を果たした鈴木孝治氏による終戦後の村づくり、昭和30年の町村合併、財政再建、豊かな農村をめざして村営改良事業や田沢疏水などの国営事業によって農業生産の基盤づくりに取り組んできたことや中学校統合など、まさに昭和の生き証人としての語りをまとめています。

「明治の男女(ひと)」(広報「おおた」平成4年4月号から20回シリーズで連載)は、明治、大正、昭和そして平成を懸命に生きてきた方がたのヒストリーです。

この手記集を読んだ方から、次のような感想が寄せられました。
『その時々を、時代の流れに翻弄されながら、あるいは確固たる自身の道を力強く歩みながら、ここ太田の地に自分を刻みこんできた方がたの貴重な記録である。ここにはまさに本物の「ふるさと」への想いが込められている。地元にあって、ひたすら我が所在での生活を守り続けてきた方がたの(あるいは来ている方がたの)「ふるさと」への思いの強さのすばらしさを改めて感じさせてくれた「私の昭和史」である。』

「私の昭和」は、大仙市内各図書館で閲覧できるほか、太田地域関係者には無料で差し上げています。
太田支所市民サービス課窓口で直接受け取るか、郵送を希望される方は250円相当の郵便切手を次まで送ってください。
〒019-1692(この番号だけで太田支所に着きます)
大仙市太田支所「私の昭和」係 まで