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太田東小学校 キャリア講話

10月1日、太田東小学校(菅原潔校長・児童数106人)で、5・6年生を対象としたキャリア講話が行われました。この講話は、東小学校の生き方教育の一つとして実施されたもので、青少年育成大仙市民会議太田地域の協力を得て行われました。
講師を務めたのは、太田地域の北開工業団地にある小松ばね工業株式会社の会長・小松節子さんです。通称「小松ばね」の秋田太田町工場は、誘致企業として、1989年(平成元年)に太田での操業を開始しました。小松会長は、その当時の社長さんです。

「小松ばね」は1941年(昭和16年)、東京都大田区の町工場がたくさんある地区に、小松会長のお父さんが個人企業として創業されました。現在は大田区に本社/第一工場・第二工場・第三工場があるほか、宮城県に大河原工場が、そしてインドネシアにも子会社があります。
2005年(平成17年)の、NHKの朝の連続テレビ小説「ファイト」は、ばね工場を舞台としたドラマでしたが、工場の仕事場のシーンは「小松ばね」の工場で撮影が行われたこともあります。小松会長は、ドラマ制作の裏方として、ドラマ内の小道具や歴史考証にもアドバイスをされました。
また、2017年(平成29年)には、中小企業振興功労として叙勲「旭日単光章」を受賞されています。
小松会長は、普段は東京都大田区にお住いですが、この日は太田地域でのこの講話のために、当日日帰りで、太田を来訪してくださいました。
貴重な機会ですので、ぜひ小松会長のお話を聞きたいと思って、5・6年生と一緒に講話を拝聴してきました。

小松会長は、社長として32年間務められました。子どもの頃は、ばね会社の社長になるとは思ってもいなかったそうです。踊ることが好きでバレエをされていたとのこと、好きなことを続けるために、踊りに耐えられる体をつくろうと、練習を繰り返し筋肉を鍛えたといいます。舞台で踊ることは、観る人に評価されることであるので、さらに練習を繰り返すことを続けたそうです。バレエの先生をした経験があり、子ども達にも指導をされていました。つらくても続けることを厳しく指導されたそうです。バレエの衣装も自分で作りたいと思い、洋裁も習ったそうです。
お子さんは、1つ違いでお二人。年子のため二人同時に育てなければなりませんでしたが、バレエで培った体力と忍耐力で子育てもつらいと思わず乗り切ったそうです。
穏やかで上品な小松会長、バレエの経験が小松会長の心身の芯の強さと、品の良さの原点であることがわかりました。

会社に勤めた経験がなかった小松会長ですが、社長になって欲しいと言われ、社長になるためにたくさん勉強したといいます。聞いたこと学んだことを実践して勉強したそうです。15年、セミナーに通い続け、何度も同じセミナーを聞いたこともあるそうですが、時代や自分の能力が変わってくると、同じ話を聞いてもまた新しい学びがあるといいます。「勉強は死ぬまで必要」、「学んだことを深く追求していくことの大事さ」を強調してお話ししてくださいました。
バレエで鍛えた声を武器に、従業員の方にも大きな声で話して伝えてきたこともよかった、さらに、バレエの先生として教えてきた経験が、この人にはどんな仕事が向いているか人材の活用に活かせたそうです。
自らも学び、従業員の方々を引っ張っていくことは大変なご苦労だったことと思います。専業主婦から社長になられたとは知っていましたが、小松会長が経験された全ての経験が、社長として活躍されることに活きていることがわかりました。

小松会長が、なぜ太田に工場の誘致を決めたかというと、太田の風景に心ひかれたからだとお話ししてくださいました。どこからでも山が見えること、きれいな水が流れていること、田んぼの景色が季節ごとに変わることに感動を覚えたそうです。春・田んぼに水がはられ、そこに映る景色、夏・風に揺れる緑の稲穂、秋・黄金色の稲穂が揺れる様子、冬・一面全てが真っ白な雪に覆われる景色、それぞれが素晴らしい景色だとお話しされました。太田で従業員を募集し、東京に技術を学びに行ったり、逆に東京の従業員が太田に来て技術指導をしたこともあり、東京の従業員の方々もここの景色に感動したと言います。
私たちの周りにいつもある風景を褒めていただくことは、嬉しい限りです。小松会長の太田への愛着を感じました。

講演の最後には、「学校で学んでいる勉強の中から、大好きなスポーツの中からでも自分で出来ることを見つけテーマとして誰にも負けないくらいやり続ける事が大切です。好きな事なので、興味もわき深く学びたくなるでしょう。やり通すことの中から自分がどう生きたいか、どんな人間になりたいかを見つけることが出来ると思います。人はそれぞれの個性を持っています。それを尊重し、理解し、受け止めていく事の出来る人になっていく事が基本と思います。大勢の人の中でお互いを知り、仲良く付き合う事は人生の中で大切な事です。沢山の事を学び忍耐力を持って『人を思いやる心』で過ごしてください」と、お話されました。

その後、子ども達から小松会長に質問コーナーが設けられました。

Q. つらかったことは何ですか?
A.従業員が、一生懸命学んだけど、諦めて辞めてしまった時はつらいですね。

Q.一番売れた時期はいつですか?
A.携帯電話が売れ始めた時に、売り上げが増えました。二つ折りタイプの携帯電話の、ヒンジとSDカードの差込にばねが使われていました。あと、ドットプリンタの印字をするピンにもばねが使用され、国内でたくさんつくりました。その後海外でつくるようになりました。

Q.一日でばねは何個できますか?
A.年間で10億個ですね。一日となると、計算してみてください。発展させて考えることが大事ですよ。

Q.これからがんばりたいことは何ですか?
A. 日本は製造業の「ものづくり」より、今はサービス業・観光業が主流となっていますが、「ものづくり」の技術を延々と残してもらいたいと思います。そんな世の中になるようがんばりたいですね。

講演後、東小の代表から小松会長に花束が手渡されました。

6年生と記念写真

 

5年生と記念写真

小松会長の講話を聞き、私も「死ぬまで勉強」を心がけたいなと改めて感じました。講話を聞いたことも、勉強のひとつになりました。今回5・6年生というまだまだ未来のある子ども達がこのお話を聞けたのは、羨ましいことです。小松会長がお話しされたように、深く追求して広く学んでもらいたいと思います。
また、小松会長が太田へ想いを寄せてくださった分、太田に住む私たちも「小松ばね」を応援していきたいですよね。精密ばねを得意とする「小松ばね」、カメラやスマホにもばねは使われているそうです。製造業への感謝と、「ものづくり」への関心を常に持っていたいなと思います。

小松会長、これからも太田とのご縁を深く太く、おつきあいのほどよろしくおねがいします。貴重なお話しをありがとうございました。

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