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秋田県大仙市公式ブログ

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太田の紙ふうせん海を渡る part3

雪国の2月は、小正月行事が盛りだくさんです。

大仙市も太田の火まつり、仙北地域の払田柵の冬まつり、西仙北地域の刈和野の大綱引き、大曲地域の川を渡るぼんでんや大曲の綱引き、鳥子舞、そして中仙地域鶯野の火振りかまくら等々、みんな違ってみんないい小正月行事が大仙市の冬を彩っています。

遠く台湾でも、春節(旧暦の正月)から数えて15日目にあたる夜(旧暦1月15日の夜)を中心に、前後数日間、家々の軒先や街角に燈籠(ランタン)を飾り、新年最初の満月を祝う「元宵節(げんしょうせつ)」というお祭りが各地で開かれています。
この元宵節というお祭りは、高さ1メートルほどの紙ふうせん数百個を一気にあげる天燈上げ(ランタン飛ばし)と、その年の干支をモチーフにした巨大で立体的なランタンを会場に飾るランタンフェスティバルの大きく2種類があるようです。
2015年(平成27年)には、長年交流が続いている大曲青年会議所と台湾新北市中和区の中和國際青年商會の縁で、太田の火まつりの紙ふうせんが初めて海を渡り、平渓天燈祭(ピンシーてんとうさい)で異国の空にあがりました。その後、2017年にも紙ふうせんが海を渡っています。
2015.3.10のブログ⇒太田の紙ふうせん海を渡る
2017.2.16のブログ⇒太田の火まつり coming soon part4 ~太田の紙風船海を渡る~

今年は、台湾新北市元宵節燈会(しんぺいし げんしょうせつとうかい=新北元宵ランタンフェスティバル)に、太田の火まつりの紙ふうせんが展示されることになりました。
西山光博副市長を団長に、太田の火まつり実行委員会の鷹觜信行実行委員長など5人が2月7日の夜の開幕点灯式に出席してきました。

最初に太田の紙ふうせんの展示に尽力してくださった新北市樹林区公所(新北市の樹林支所、人口18万人余り)を訪問。職員のみなさんから熱烈な歓迎を受けました。

陳奇正樹林区長から、樹林区の概要などの説明を受けた後、2020新北市樹林之美新春嘉年華燈會(2020年樹林の美新春カーニバルランタンフェスティバル)会場へ。ここでは小、中学生が絵を描いたランタンを飾り、クリスマスから正月、春節そして元宵節までを祝い、展示されたランタンの中から優秀な作品が選ばれるそうです。

そして新北市元宵節燈会へ。午後6時30分から会場に設けられた水岸ステージで台湾の少数民族が演舞を披露し、7時に侯友宜新北市長の合図のもと点灯式が行われ、今年のテーマである「子年(ねどし)と水岸風情」をモチーフにした数多くの立体的なランタンに明かりが灯りました。

 

 

 

会場には国際交流ランタンエリアが設けられており、青森ねぶたと太田の紙ふうせんが隣り合って展示されていました。立体的で色鮮やかでエネルギッシュな青森ねぶたと、シンプルな円筒型で余白の美を活かした太田の紙ふうせんとは対照的でしたが、周りがきらびやかな分、太田の紙ふうせんが際立って美しく見えました。

青森ねぶたの関係者として開幕点灯式に出席していた青森市役所と青森観光コンベンション協会の方がたによれば「こんな紙ふうせんは初めて見た。とってもきれいですね。青森県ではこのような紙ふうせんをあげるという風習は聞いたことがない」とのこと。

 

 

台湾の首都台北市を囲むように位置する新北市は人口約400万人、新北市元宵節燈会には2月7日から3月1日までの期間中、台湾のみならず世界から約300万人が訪れるそうです。

 

太田の火まつりは、太田町公民館が「郷土を愛する心が文化を育み豊かな地域づくりにつながる。うすれゆく地域の小正月行事を伝承していこう」と町民に呼びかけ、昭和57年2月20日(土曜日)に、太田町公民館と太田町連合青年会が主体となり、大台スキー場入口付近の田んぼを会場として借りて、「ふるさと火祭り」を開催したのが始まりで、第3回目の昭和59年から「太田の火まつり」に名前を変え、今年2月1日に39回目の太田の火まつりを終えました。
実は私は、第1回目の「ふるさと火祭り」からかかわっています。当時は、地元の青年会の一員として、公民館事務所が入っていた生活改善センターの集会室に毎晩のように集まり、お年寄りの指導を受けて、紙質や大きさなどを試行錯誤しながら青年会の仲間とともに紙ふうせんを作っていました。始まりのころは、五穀豊穣や家内安全などの願いや協賛事業所名などを書いた紙ふうせんでした。紙ふうせんに太い筆で文字を書くのが私の役割でもありました。紙ふうせんに絵を描くようになったのは、少し後からのことです。

また、このころは西木村の老人クラブの方がたが、紙ふうせんの作り方を太田へ習いにも来ていました。
5年前に太田地域の80歳代のお年寄りの方がたから聞いた話によれば、昔は習字の書き損じた紙や新聞紙などで作った簡素な紙ふうせんを、稲わらを燃やした煙でふうせんをふくらませ、願いを込めて夜空に解き放ったそうです。太田地域で紙ふうせんあげが、いつの時代から行われていたかは定かではありませんが、お年寄りの話などからすると、少なくとも100年以上前にはすでに紙ふうせんあげが行われていたと思われます。

こうして長い年月の間に、簡素な紙ふうせんから美しい紙ふうせんに、稲わらの煙からガスバーナーの熱風に変化していますが、地福円満や五穀豊穣、無病息災、そして子どもたちの健やかな成長を願って行われる行事を通して、今を生きる私たちは先人の思いを知ることができます。人々の願いは、今も昔も変わりありません。そして台湾も同じでした。

東北3大まつりの一つで、日本を代表する夏のイベントでもある「青森ねぶた」と同格の扱いで太田の紙ふうせんが展示され、長年、太田の火まつりにかかわってきた私は、とても誇らしく、感無量の思いでした。

これまで私は、紙ふうせんは空にあげるものだと思ってきました。紙ふうせんを展示することは一度も念頭にしたことがありません。また、太田の火まつりの際は、紙ふうせんがふくらむと空に放つため、紙ふうせんの美しい絵は一瞬しか見ることができませんでした。
こうして台湾で展示された太田の紙ふうせんを見て、古くから伝わる行事の伝承は、目的を見失うことなく、時代の変化に合わせて少しずつ変化させ、魅せる(見せる)工夫も必要だと感じました。

太田の火まつりは、来年40回目の節目を迎えます。
火まつりの始まりのころは、紙ふうせんが海を渡るなど誰も思っていませんでした。
来年も太田の紙ふうせんを台湾で展示したいと樹林区長からお話しがありました。
台湾と大仙市の縁をとりもってくださった新北市の陳奇正樹林区長に深く感謝するとともに、太田の紙ふうせんが結ぶ台湾との縁が、人と人との交流、やがては物流を生み、経済交流につながることを願います。