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太田の天筆焼き

 2月6日(土)、太田球場駐車場にて「太田の天筆焼き」が行われました。

 本来であれば、今年は節目となる「第40回太田の火まつり」が開催される予定でした。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、本当に残念なことに、開催は来年に延期することになってしまいました。
 そのかわり、一般の方の観覧は遠慮していただく形ではありましたが、太田の小正月行事の継承と新型コロナウイルス感染症の収束を願って、太田の火まつり実行委員会と市が協働で「天筆焼き」を実施することに決定しました。

 当日は午後2時から、会場の2か所にテントを設置して、地域の皆様から正月のしめ飾りやお守りなどをお預かりしました。今回は新型コロナウイルスの対策ということもあり、ドライブスルー形式としました。

 あたりが暗くなってくると、会場前の道路沿いにはろうそくがともされ、お客さんの姿はありませんが、雰囲気だけでもお祭りの気分です。

 そして午後6時過ぎ、神事に引き続き、天筆焼きが行われました。天筆は、地域の子どもたちが願いごとを書いた5色の短冊を貼り合わせたものです。
 例年より少し小さめの、高さ約6メートルのかまくら(稲わらの塔)に火がつけられると、勢いよく燃え上がりました。
 今年の皆さんのいちばんの願いは、なんといっても新型コロナウイルス感染症の収束。今年度は、連日のようにコロナ関連のニュースが報道され、コロナのことを忘れる日はありませんでした。たくさんのお祭りやイベントなどが中止や延期になり、日常の様々な楽しみも制限されてしまった日々だったと思います。

 一日も早く元の日常が戻ってくるように、願いがこめられた天筆が、空に向かうように燃えていきました。きっと、天に届いたことでしょう。

 最後はサプライズ花火でのフィナーレとなりました。

 雪不足で苦労した昨年に引き続き、コロナ禍の今年と、太田でもいつもとちがう冬が続きます。「火まつり」がない冬は、どこか寂しいものがあります。
 来年こそは、記念すべき第40回目の「太田の火まつり」が盛大に開催されるよう、願いたいと思います。

陶芸と生け花のコラボ展

太田庁舎の玄関ホールには今、春が訪れています。1月13日から15日を会期として開催されている「陶芸と生け花のコラボ展」が、華やかに来庁者をお出迎えしています。
この「コラボ展」は、太田地域の生涯学習団体である、おおた陶芸同好会(後藤光三会長・会員11名)と生け花同好会(大信田則子会長・8名)のコラボレーションで実施されています。
外は雪に覆われた銀世界ですが、太田庁舎に入るなり、一気に春の彩りです。色とりどりの花々を、こだわりの花器が惹き立てています。

花器に合わせて花を生ける生け花同好会の皆さん。

完成した作品はこのとおり!華やかですね。

「コラボ」と聞くと、それだけでお得な気がしますが、この「コラボ展」では花と器、両方が一度に楽しめるうえに、それぞれの良さがさらに際立っているような気がします。
花器の作者と生け花の担当者がわかるように紹介プレートが用意され、使用している花材も表記されているので、花や陶芸に詳しくなくても気軽にじっくりと楽しむことができます。

展示が始まると、さっそく見に来てくださる方が・・・。

花のまち太田の皆さんは根っからの花好きだと実感、見るのも見せるのも好きだからこそ、この「コラボ展」が開催できたのだろうと思います。
おおた陶芸同好会の皆さん、生け花同好会の皆さん、ありがとうございました。
地域の皆さん、ぜひ「コラボ展」を見にいらしてください。明るい気分になること間違いなしです!

太田の味「おやきづくり講習会」

1月6日(水)、おおたコミュニティプラザの調理室で、秋田おばこ農業協同組合太田支店 農産加工部会(齊藤禮子部会長)の方々を講師として「おやきづくり講習会」が行われました。

市太田支所では「地域の魅力再発見事業」の一つとして、「太田の伝統食継承事業」に取り組んでいます。令和2年3月には農産加工部会のご協力のもと、昔から太田地域で作られているお菓子のレシピ集を発行しました。そして今回はそのレシピを活用して、食文化の継承と世代間交流を目的に講習会を企画しました。

参加者は、大仙市スポーツ少年団太田支部の団員16名です。スポ少の交流会も兼ねて、この講習会に参加したそうです。

調理の前に、講師の先生から「この地域では、毎年12月8日に『やまい焼き』として、無病息災を願っておやきを食べる習慣があります。昔は鉄鍋で焼いていましたが、今はホットプレートでお手軽に焼くことができます。太田の味を忘れないように、ぜひ覚えて自分でも作ってください」と、説明がありました。

参加者は4つの班に分かれ、しっかりと手を洗ったらいよいよ調理開始です。
ここで特別にレシピ集に掲載されているおやきの作り方をご紹介しますので、ぜひ皆さんも作ってみてください。

《材料・分量(20個分)》
●もち粉…350g    ●水…… 250cc
●あんこ…600g    ●植物性油…少々
●小麦粉… 50g  

①もち粉と小麦粉を混ぜ合わせて、250ccの水でこねます。固いときは少し水を足し、耳たぶ位の柔らかさになるようにします。

②もち30g位、あんこ30g位のものを丸めます。

③もちをのばし、中央にあんこを入れて包みます。

真剣な表情で先生のアドバイスを聞き、どんどん作業を進めていきます。

④140℃位に熱したホットプレートに油を敷き、丸めたもちをつぶして焼きます。

⑤途中でホットプレートに少し水を入れて蒸らします。

おいしそうな香りがしてきて、「待ちきれない!」というご様子。

⑥蒸れて焼き色がついたら裏返します。

ここまで順調に進めていた皆さんも、裏返すのは緊張するようです。

⑦両面焼けたら出来上がり!

出来上がったおやきは、温かいうちにさっそく皆でいただきます。
今回作ったのはそれぞれつぶあん5個と紫いもあん1個ずつ。味を聞いてみると、紫いもあんのおやきが珍しくてお気に入りのようでした。

参加者の5年生の男子は、「おばあちゃんがよくおやきを作ってくれるので、今度は自分でも作りたい」と話してくれました。
今回参加してくれた皆さんが、太田のおやきの味を忘れず、受け継いでくれることを期待しましょう。

「太田の手作りお菓子レシピ集」には、おやきのほかにも大福、いちご大福、しそ羊かんのレシピが掲載されています。
レシピ集は、太田支所市民サービス課の窓口で配布しています。太田の味を作ってみたい方は、ぜひご利用ください!

県民歌制定90周年記念 太田地域文化講演会

10月30日、太田中学校を会場に太田地域文化講演会が開催されました。
この講演会は、太田地域自治組織連絡協議会の主催で毎年開催されています。太田地域にゆかりのある方を講師に迎え、ふるさと太田の良さを再認識するとともに、地域住民の教養と文化意識の高揚を目的としています。
今年の講演会は、秋田県民歌制定90周年記念として開催されました。太田では、県民歌と言えば、県民歌の作詞者・倉田政嗣の出身地という誇りを持っています。県民歌を地域全体で大事に歌い継ぎ、地域活性の要素の一つと捉えています。今回の講演会も、県民歌を地域の宝として再認識してもらう機会として企画されました。
講師は、太田出身のわらび座俳優・鈴木裕樹さんが務めました。裕樹さんは、2015年にロングラン公演となったミュージカル「為三さん!」で県民歌の作曲者・成田為三役を演じています。まさに、太田と県民歌をつなぐ方が、講演をしてくださいました。

開会にあたり、太田地域自治組織連絡協議会の長澤会長は「太田では秋田県民歌に対する想いを綴った手記集を発行しているほか、式典や研修などの際は秋田県民歌を歌っている。太田出身の倉田政嗣が作詞したことがご縁となり、太田では秋田県民歌は広く浸透している。今回は秋田県民歌つながりで、わらび座俳優の鈴木裕樹さんに講師をお願いした。わらび座での心境の変化や思い入れ・心情を語っていただきたい」と挨拶されました。

 

裕樹さんは「私と秋田。太田産の俳優として舞台に立つ。」と題して講演し、太田中学校の生徒や地域住民が合わせて約200人参加しました。会場の太田中学校は裕樹さんの母校です。母校での講演ということに加え、参加された方の中には裕樹さんの恩師やご両親までいらっしゃり、舞台とは違い緊張感漂う表情の裕樹さんでしたが、ご自身のことやわらび座俳優としてのエピソードなど、包み隠さずわかりやすい言葉で講演をしてくださいました。

講演の冒頭では、講師を引き受けるきっかけとなった成田為三のエピソードをお話ししてくださいました。為三はマザコンだったことや、学校のトイレを使わず家まで帰っていたことなど、裕樹さんは為三のプライベートなことまで調べていたようです。秋田県民歌が作られた経緯についても、為三は音楽は純粋なもので依頼を受けて曲を作ることはしたくないと考えていたが、応募のあった歌詞をみて秋田の情景がよみがえり、この歌詞なら作曲したいと思ったのではないか、作曲後に秋田師範学校の同期生である倉田政嗣の歌詞だと知ったらしいことをお話ししてくださいました。演じるということは、人物の人となりや歴史を知ることも含んでいること、役への思い入れを深く感じました。政嗣は39歳で亡くなっていますが、政嗣がもっと長生きしていたら、政嗣と為三のペアで作詞・作曲された歌がもっと生まれていたのではないかと考察されていました。没年は違うものの、政嗣の命日は10月16日、為三の命日は10月29日、そして県民歌は10月30日に制定されており、10月のこの講演会で県民歌の歌声を響かせることは、2人にも喜んでもらえるのではないかとお話しされました。
わらび座に入団した経緯についても、包み隠さず語ってくれました。学校の先生になることを目指し大学に進学したが、1人暮らしを始めたことにより、お酒やバイトそしてマージャンなど魔の手がたくさんあり学校に行かなくなってしまったそうです。先生になりたい気持ちが薄れてきて、自分がどんな人間なのかわかった気がしたといいます。楽しい方に流されやすい性格を自覚し、大学をやめることを決心しました。自分が楽しいと思うことなら仕事として続けていけるのではないかと思い、小さい時から人前に立つことが好きだったこともあり、目立ちたい・モテたいという気持ちを抑えずに俳優の道に進むことを選んだそうです。わらび座入団後には、新しいこと・知らないことに挑戦して、困難に向き合うことで、とても充実していたといいます。毎日楽しいことだけではないが、つらいことも含めて本当の充実を感じた、皆さんもつらくても向かっていけるようなことを見つけられると素晴らしいことだと語ってくださいました。
裕樹さんは、わらび座の舞台に立つことで「恩送り」をしているそうです。恩送りとは、恩返しと違い、受けたご恩をいろんな人に回していくことで、今目の前にいる人に誠実に向き合っていくことだそうです。今日のこの講演も恩送りの一つではないかと思っていると語ってくださいました。
講演の中では、わらび座のミュージカル中の曲を2曲披露してくださり、伸びやかで気持ちのこもった歌声に会場中が惹きこまれました。

講演の最後には、質問タイムがあり、様々な質問がありました。
Q.ふるさとの風景で、好きな風景はありますか?
A.大台山からみる風景ですね。水がはられた田んぼの風景が好きです。

Q.舞台で大切にしていることは何ですか?
A.誠実にステージに立つことです。

Q.役作りで気を付けていることはありますか?
A.私生活の過ごし方でも、役のイメージと違うような過ごし方をしないようにしています。

来賓として参加していた吉川教育長からも質問がありました。
Q.中学生に一番伝えたいことは何ですか?
A.太田に残って欲しいということですね。秋田にいて素晴らしい仕事をしている人はいっぱいいます。地元で家族を持ってもらったら嬉しいですね。

この答えを聞いた中学生からはこんな質問も
Q.東京に行きたいと思ったことはありますか?
A.ないですね。知らないたくさんの人より、自分の近くの人に頑張る姿を見てもらって喜んでもらいたいですから。
この返答を聞いた中学生からは「地元で夢を叶えている姿がすごくかっこいいと思います。私も地域の人に恩送りできるように頑張りたいと思います」と答えていました。

 

講演後は、太田中学校吹奏楽部の演奏に合わせて、参加者全員で秋田県民歌を1番から4番まで高らかにうたいました。きっと、心を一つにうたいあげた県民歌は、天国の政嗣と為三にも響いたことと思います。

県民歌をキーワードに、まさしく講演会の趣旨である、太田の良さを再認識すること、地域住民の教養と文化意識の高揚をはかることができた「文化講演会」だったと思います。
裕樹さん、中学生にも大人にも響く講演をありがとうございました。

秋の桜?

「大仙市の花」といえば、秋桜と書いて「コスモス」ですが、春に咲く「桜」がこんな時期に咲いています。

季節外れの花をつけているのは、太田町駒場の加藤さんの庭にある桜の木。
「50年くらい前からこの木を見ているが、こんなことは初めて」と加藤さんもびっくり。
道路沿いの木なので、通りすがりの人もみんな足を止めて見ていきます。よく写真を撮らせてほしいと頼まれるそうです。

加藤さんによると、この桜は八重桜の一種。
春には濃いピンク色のキレイな花を咲かせるそうですが、今回咲かせた花はそれよりも淡い色合いで、花びらの枚数も少なめ。
桜の木は2本あり、1本に花をつけたと思ったら、2本目の木のつぼみも次々と咲き始めたとのこと。
まだ暑さの残る9月の青空のもと、なんだか不思議ですが、また違った美しさがあります。

夏に何らかの原因で葉が落ちてしまい、その後寒暖の差があると、桜が「春が来た」と勘違いして咲いてしまうことがあると言われています。
今年は梅雨が長く、8月下旬になってから暑い日が続いていることが影響しているのでしょうか。

先日お知らせした、サボテンの花の開花など、珍しい現象が続いています。
今年の夏は、新型コロナウイルスの影響で花火大会などのイベントが中止になったり、移動の自粛が求められたりと、いつもと違った夏になりましたが、花にとっても特別な夏になったようです。

サボテンの花が咲きました

9月7日(月)、太田町川口の鷹觜さんのお宅でサボテンの花が咲きました。

鷹觜さんによると、前日まではいつもと変わらなかったのに、この日の朝5時半ころに起きて見てみると花が咲いていたとのこと。知人に譲り受けて育て始めてから約15年、花が咲いたのは初めてだそうです。

サボテンといえば、緑色で丸っこくて、トゲトゲで…というイメージがありますが、このようにかわいらしい花を咲かせてくれるなんて意外に思う方も多いと思います。
サボテンには、なんと2,000以上もの種類があるそうです。その中には、すぐに花を咲かせるものもあれば、咲くまでに何十年もかかるものもあります。
育てるのにあまり手間がかからないサボテンですが、花を咲かせるコツは「冬の休眠期は水やりを控える」「日光をたっぷり当てる」ことだと言われています。

15年かけて、小さな体に大きな花を咲かせた鷹觜さんのサボテン。
「ピンクの淡い色合いが綺麗で、ぜひ見てもらいたいと思った」とのことです。

大仙市では、このコロナ禍でも小中学校や地域を元気にしようと、「小中学生エール花火」を実施しています。
夜空に咲く大輪の花火とサボテンの大きな花が重なり、エールをもらったような気持ちになります。
写真は9月1日(火)に打ち上げられた太田北小学校の「エール花火」です。

サボテンの花言葉は「偉大」「枯れない愛」。水が少ない厳しい環境でも強く育つ性質にちなんだ言葉です。
15年前といえば…ちょうど8市町村が合併して大仙市が誕生した年でもあります。
今年誕生15周年を迎えた大仙市も、現在はコロナ禍で厳しい状況が続いていますが、こんな時だからこそ、サボテンのように強い心を忘れずにいたいですね。

太田分校レストラン 開店です!

8月27日(木)、中里温泉レストランを会場に、今年度第1回目の「太田分校レストラン」が開催されました。
「太田分校レストラン」は、市の「地域の魅力再発見事業」の一環として行われ、今年で3年目となります。大曲農業高校太田分校の生徒が、栄養バランスや地元産食材の活用にこだわって考案し、中里温泉レストランで調理をしてメニューを提供します。
今年度は、新型コロナウイルス感染防止対策として、テイクアウトのお弁当での提供となりました。今回を含め、年度内に4回の開催を予定しています。

レストランに携わるのは、情報教養コースの3年生4名です。
今回のメニューを考えたのは、大沢柊佳さん。
「8月は夏野菜たっぷりのお弁当で皆さんに栄養をつけてもらい、この夏・このコロナ禍を乗り越えてもらえるように」という気持ちを込めたそうです。

お弁当は税込み850円です。
60個限定で予約を受け付けしましたが、なんとわずか20分で予定数に達してしまったとのことでした!

当日、生徒たちは朝から調理補助、接客の手順の確認など準備を行い、いよいよオープンの時間を迎えます。

11時半になると、続々とお客さんがやってきました。
はじめは慣れない場面もありましたが、元気な接客にお客さんもにこやかです。

中には、職場で食べるというお客さんも。
「近くに住んでいますが、なかなか来る機会がなくて、今回はお弁当ということで気軽に食べられるので注文してみました」とのこと。
このように実際に会場で食べるのが難しい方も、自宅や職場で食べることができるのもテイクアウトの良いところですね。

会場内には、大曲農業高校本校で作られたジャムやぶどう液、太田分校で採れたじゃがいもを販売するコーナーも設けられました。
スーパーなどでは手に入らない珍しい種類のじゃがいももあり、おすすめの調理方法を生徒に相談するお客さんの姿も見られました。

次回は9月29日(火)の開催を予定しています。
9月は猪本采芽さんが考えたメニューで、「夏の余韻を残しつつ、秋を感じられる食材や彩りを工夫しました」とのこと。
予約は9月10日(木)午前9時より、中里温泉(0187-88-1471)で受け付けを開始します。
前回残念ながら予約できなかった方も、これを見て食べたくなった方も、ぜひお電話お待ちしております!

大仙市産黒毛和牛を味わいました

太田地域の小中学校・こども園では8月19日(水)、給食に大仙市産の黒毛和牛を使った牛丼が登場しました!

「和牛」とは、日本で生まれ育った4種類の肉用牛のことです。ちなみにお店でよく見かける「国産牛」と表示がされた牛肉は、日本である程度育てられた牛のことで、国産牛のすべてが和牛というわけではありません。その中でも「黒毛和牛」と呼ばれる牛は、体が黒く模様がないのが特徴です。生まれたばかりでも体重が30㎏くらいありますが、10か月で300㎏、2年で450㎏まで成長します。

和牛肉は他の牛肉よりもうまみと柔らかさに優れていて、高級食材として人気がありますが、現在は新型コロナウイルスの感染拡大によるイベントの中止や、外食の自粛などの影響で、消費が落ち込んでいます。

そこで、子どもたちにおいしい大仙市産の和牛を味わってもらおうと、給食として出すことになりました。

今回、太田北小学校の給食風景を見学させていただきました。
盛り付ける姿もどこかうれしそうに見えます。準備ができると、代表の児童が「今日は和牛の給食です。新型コロナウイルスにより影響を受けている農家の方々の支援として、県が補助金を出してくれて、黒毛和牛を食べられることになりました。味わって食べましょう」と説明をして、皆で「いただきます」をしました。

現在は新型コロナウイルス感染症対策として、隣の人との間隔をあけ、一方向を向いての食事です。 少々寂しいですが、その笑顔からは和牛のおいしさが伝わってきました!

食べ終わって感想を聞くと、「とてもおいしかったです!」とのこと。大仙市産のおいしい和牛で作った牛丼をすっかり満喫したようです。

太田地域では18軒の畜産農家が、約120頭の子牛を飼育しています。

子牛の飼育は、衛生管理や伝染病予防など休みがなく大変な作業ですが、畜産農家の皆さんは日々愛情と丹精を込めて子牛を飼育し、秋田県子牛市場(由利本荘市)へ出荷しています。太田地域からは、毎年90頭ほどの子牛が東北各地などに出荷されています。

今回の給食で、地元の和牛のおいしさを知った地域の将来を担う子どもたち。ちょっと贅沢な牛肉ですが、消費アップにつながることを願っています。

千年先まで伝えたい 空如の法隆寺金堂壁画模写

鈴木空如(1873~1946年)は太田町小神成生まれの仏画家です。生涯で三度、12面ある法隆寺金堂壁画を原寸大で模写しています。昭和24年に法隆寺金堂が火災に見舞われる前にこの偉業が成し遂げられていたことから、模写絵の価値は金堂壁画焼損後に広く知られるようになりました。
12面ずつ3組ある空如の金堂壁画模写絵のうち、1作目と3作目が現在大仙市に所蔵されています。
空如の金堂壁画模写はサイズが大きいことや、日本画のため湿度や温度管理が大変なことから、展示の時期を選んだり、展示作業が困難だったりすることから、数年に一度の公開となっていました。
空如を地域の偉人として顕彰しようと、太田には「鈴木空如を顕彰する会(髙貝久遠会長)」があります。
顕彰する会では、地域住民や子ども達に空如の作品により多く触れてもらい、空如の偉業を千年先に伝えたいという強い想いがありました。
そこで顕彰する会では、令和2年3月から5月にかけ、クラウドファンディングを活用して資金を募り、原寸大の高精細複製画作成に取り組みました。コロナ禍の中、インターネット上でいろんな活動を支援できるとあり、現在では大仙市内でも様々な団体でクラウドファンディングに取り組んでいますが、市内の市民団体で初めてクラウドファンディングに取り組んだのは「鈴木空如を顕彰する会」ではないかと思います。
クラウドファンディングには、太田地域内外の89名・4社・1団体から、目標額を上回る128万円のご支援をいただきました。
これを資金とし、大仙市が保有する模写絵の写真データを使用して、高精細複製画を原寸大で4面、9分の1サイズの額装を14点、展示パネルを1点を制作しました。

このうち原寸大の高精細複製画は太田文化プラザに常設展示しています。
空如の命日にあたる7月21日に除幕式が行われ、顕彰する会の髙貝会長を始め、老松大仙市長、空如の生家である鈴木家の当主・鈴木覚さんなど関係者約30名が参加し、お披露目が行われました。

 

髙貝会長は、「全国には第一級の画人がいるが、亡くなった後もその画人の功績を讃える顕彰会があるのは空如のみと評価されている。子ども達に空如の業績やその生き方を紹介し、努力することの大切さや、自分の才能を地域のために尽くすことの尊さ、そして時代に流されない豊かな心と強さを学んでもらえるよう、今後も空如の顕彰に努めていきたい」と挨拶されました。

 

来賓として出席した老松大仙市長は「大仙市では、芸術・文化などをテーマとした活性化基本構想の策定を予定しており、空如とその作品は、その構想の核の一つとなるものと考えている。地域の盛り上がりがあればこそ、魅力発信ができると思う。今後も大仙市へのご協力をお願いしたい」と祝辞を述べました。

 

そして、空如の生家・鈴木家当主の鈴木覚さんは顕彰する会や支援をしてくださった方へお礼を述べながら「空如には二つの信念があった。展覧会に作品を出さず、名利を求めなかったこと。もう一つは、新聞を読まないこと。世間の変化に惑わされずに仏画を描いた」と空如の生き様をお話ししてくださいました。

 

除幕式終了後には、太田公民館の髙橋副主幹による空如作品の解説があり、参加者は興味深く聞き入っていました。ミニ展示室には空如が東京美術学校(現東京芸術大学)時代に描いた作品なども展示されており、空如の几帳面さや画力の高さなど、広い視点からの解説がありました。

 

除幕式に参加した羽後町の女性に感想を伺うと「空如の作品が、時をこえてここに再現されたと思うと、身震いがする思いです。もともと私は太田の出身で、空如と遠い親戚にあたることからクラウドファンディングに参加しました。亡き父も、このような機会があればぜひ協力するだろうと思ったので、参加させてもらいました」と語ってくださいました。なるほど、「時をこえて再現」とは、また深い言葉です。
空如が、1作目の金堂壁画の模写を完成させたのは大正11年、模写を始めたのは少なくとも今から100年以上前のことです。100年ほど前の空如の偉業を、現代の高精細複製という技術と、クラウドファンディングという情報世界の中で生まれたシステムを用いて、千年先まで伝えていく、この意義はすごく深いと思います。

 

また、時を同じくして、空如の命日7月21日には、東京国立博物館に展示用として貸出されていた空如の作品が、博物館を旅立ち一路大仙市へと向かっていました。金堂壁画模写1・3作目の1・6・10号大壁(6点)のほか、下絵8点の計14点等が、22日に収蔵庫のある太田文化プラザへと戻ってきました。高精細複製画が見守る中で空如直筆の1作目と3作目が無事にお里帰りしました。これもまた、意義深い!丁重に運搬され、その後は一面ずつ博物館の学芸研究部保存修復課保存修復室の瀬谷室長による確認作業が行われました。

 

「鈴木空如を顕彰する会」の皆さん、この度は高精細複製画作成プロジェクトの成功おめでとうございます。
空如の功績を千年先まで伝える「顕彰する会」の活動を応援したい方は、太田文化プラザに足を運び、常設展示の複製画をぜひご覧ください。空如による焼損前の忠実な模写絵があるおかげで、現代の私たちはここ太田にいながら、奈良の法隆寺にあった飛鳥時代の壁画を間近で鑑賞することができます。空如作品のサイズ感や緻密さをご堪能いただき、お友達やお知り合いにぜひとも宣伝をお願いします。地域みんなで千年先まで伝えていきましょう!

太田南小学校で「横沢曲がりねぎ」の苗植えが行われました

6月9日(火)午前中、太田南小学校で秋田の伝統野菜「横沢曲がりねぎ」の苗植えが行われました。

「横沢曲がりねぎ」は江戸時代から100年以上も受け継がれてきた伝統野菜で、太田南小学校ではふるさと教育の一環として毎年植栽活動を行っています。

※過去の活動の様子はこちら→平成30年度 令和元年度

30度近い暑さの中、指導者として地元農家の髙橋さんと長澤さん、地域学校協働活動推進員の髙橋さん、東部新規就農者研修施設の方々、そして今回作業を学ぶ3・4年生の皆さんが畑に集合しました。

長澤さんから曲がりねぎの歴史についてのお話を聞いた後、いよいよ作業開始です。

曲がりねぎは約2年をかけて収穫される野菜です。まず4年生の皆さんが、2年目のねぎのネギボウズ取りを行いました。

ネギボウズとはねぎの花のことです。そのままにしておくと栄養が吸い取られ、ねぎが固くなり美味しくなくなってしまいます。

パキッとネギボウズを取っていくと、ねぎのいい香りが辺りに漂い始めました。 始めは慣れない様子でしたが、次第に「意外と簡単!」という声が聞こえ、あっという間に作業が終わりました。

次に3年生の皆さんによる苗植えです。 指3~4本くらいの間隔をあけて苗を置き、優しく土をかけます。 指導の方からは「曲がりねぎだけど心はまっすぐに!」という名言も飛び出しました。 食べたことはあっても実際に植えるのは初めての皆さん。 感想を聞かれると、「苗の植え方がわかって楽しかった」「食べるのが楽しみ」という声がありました。

かつて明治時代には栽培が盛んだった横沢曲がりねぎも、今では数戸の農家で栽培しているのみ。 子どもたちにとって、地域の貴重な伝統に触れることができるこのような機会はとても大切なことだと実感しました。こうした活動により、伝統が受け継がれていくとうれしいですね。

今後この曲がりねぎは、秋の学校行事「なべっこ」の食材として振る舞われるようです。収穫が楽しみです!

コロナウイルス終息を願って

連日のニュースや日常の会話、仕事の仕方から休日の過ごし方まで、「コロナウイルス」の影響を感じない日はありません。
秋田県では、幸いにも爆発的な感染拡大もなく、緊急事態宣言の解除に至りました。ただ、まだまだ気の緩みは禁物です。「新しい生活様式」が示されましたが、一人ひとりが、感染防止そして感染拡大防止の意識を持って行動することが大事です。

私たち市職員も来庁される市民の皆さんへの配慮を忘れずに、日々業務にあたっています。そんな中で、太田支所ならではの「コロナウイルス」対策を紹介します。
太田支所の正面玄関ホールには、太田の偉人である仏画家・鈴木空如のコーナーを設置しています。鈴木空如は、法隆寺金堂壁画の原寸大の模写を生涯で3組制作しています。
太田支所では、地域の偉人を称え、広く市民に知ってもらうために、空如の金堂壁画模写図の原寸大3分の1サイズのカラープリント版を展示しています。現在展示しているのは「第10号壁 薬師浄土図」です。

薬師如来が神将(しんしょう)や菩薩らに説法をしている様子が描かれています。

薬師如来は、菩薩の時に如来となるため、12の願いをたて、それが成就しないかぎり仏とならないと誓いました。その願いは、「衆生(しゅじょう・いのちあるものすべて)の病気を治して災難をしずめ、苦しみから救う」というものでした。
まさにコロナ禍の終息を願う、今の私たちの願いそのものです。

太田支所に来庁の際は、ぜひ「薬師浄土図」をご覧になってください。地域の偉人の偉業を知ることができ、さらに地域の先人に見守られていることも感じていただけると思います。

夕焼けと冬の仙北平野

太田町東今泉の小松博幸(こまつ ひろゆき)さんが、ご自身が撮った写真を太田支所に寄贈してくださいました。作品のタイトルは「夕焼けと冬の仙北平野」。
平成24年2月29日に撮影されたこの作品は、第32回秋田県写真公募展(平成26年)で見事、特選に輝いています!

小松さんは仕事が休みだったこの日の午後、暇つぶしに温泉に行ったそうです。そこから外を見ると、この時期にしてはめずらしく雲ひとつない晴天だったため、冬の夕焼けはどんな景色になるのか興味がわいて大台山に登ったとのこと。
夕焼けは5時頃から現れ始め、5時半に撮影されたのがこの写真です。小松さんもお気に入りの、夕陽に染まった空とモノトーンの仙北平野とのコントラストが美しい作品です。

「仕事帰りの服装だったのでとても寒く、足が冷たくなり撮影どころではなくなりましたが、とても良い1日になりました」と小松さんはこの日について振り返りました。

小松さんは、昨年も太田支所にご自身の作品「静かな朝」を寄贈してくださいました。こちらも大台山から撮影した風景ですが、また雰囲気が違って幻想的で素敵な作品です。
今後もコンテストで入賞した大台山からの風景の写真を支所に寄贈してくださる予定です。楽しみですね。

小松さんの作品は太田支所市民ホールに展示しております。
太田支所にいらっしゃる機会があればぜひご覧ください!

スイセンの開花

太田地域では、ここのスイセンが毎年一番に咲くというスポットがあります。農道の南側の法面で日当たりがよく、近くに大きな民家があるため風も当らないという場所です。
今週の月曜日から「そろそろ咲かないかな」と待ちわびておりましたが、本日3月27日ついに開花を確認しました。

太田のスイセンロードが、皆さんのドライブを楽しくしてくれる季節が始まります。

新型コロナの影響で、様々なイベントや催しが中止や延期になり、自粛ムードが蔓延している、こんな時こそ太田のスイセンロードのドライブがおススメですよ。
ちなみに黄色のスイセンの花言葉は「私のもとへ帰って」だそうです。ん~・・・大人な物の見方をするとなかなか意味深ですが、ドライブという観点から考えると安全運転でおかえりなさい、ともとれますよね。
黄色のスイセンをみながら、太田へぜひドライブにおこしください♪

おいしい田んぼ

白鳥が越冬を終えて、北の空へと飛び立ち始めています。
広大な仙北平野、田んぼが整然と並んでいますが、なぜか白鳥は一枚の同じ田んぼに群れをなしています。不思議ですよね。田んぼにいる白鳥は、秋の刈取り時に落ちた穂や、成長が悪く籾殻に残ってしまった米を食べているそうです。人間には同じように見える田んぼでも、白鳥がいるのはきっとおいしい田んぼなのでしょうね。

写真を撮る側としても「おいしい」田んぼにいる白鳥を発見しました。
一目で太田とわかる「大台スキー場」をバックに、くつろぐ白鳥たち。なかなおいしいポジション取りです(笑)

さて、鳥は全部で何羽でしょう?
正解は5羽。コメリのマークを見落とさないでくださいね(笑)
いつもにも増して短かった今冬、大台スキー場の残雪と白鳥のくつろぎで、冬の終わりを感じたワンシーンでした。

太田分校生徒会が受賞 「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業 表彰

仙北地域振興局の「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業 表彰式が今年も行われました。この事業は、平成19年度から実施されており、これまで65団体と3個人が表彰されています。その名のとおり「元気なふるさと秋田」を創るべく、自立的・主体的な活動を行っている団体・個人を表彰するもので、表彰を通して地域づくり活動の活性化を図ること、そして多くの県民への普及・啓発を図ることを目的に行われています。

今年度の「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業表彰式は、2月19日(水)に仙北地域振興局で行われました。今回は3団体が表彰を受け、そのうち太田地域からは、大曲農業高等学校太田分校生徒会が受賞されました。

太田地域の地域づくり活動の中でも、太田分校の活動は重要な軸の一つと言えます。
太田分校は「地域とともに歩む太田分校」をスローガンとしています。まさにそのスローガンどおりに、農業を通じた活動、伝統芸能の継承普及活動、スポーツを通じた活動などで、地域交流活動を展開しています。
中でも、今回の表彰では、毎年行われているグラウンド・ゴルフ大会の開催が評価されました。これは、生徒会が主体となり企画・運営している大会で、今年度で19回目の開催となります。地域の方と分校生とが混合でグループをつくり、一緒にホールを回りプレーをしながら交流をはかるというもので、地域交流・世代間交流を目的としています。プレーだけでなく、交流アトラクションで郷土芸能部が演舞を披露したり、一緒に◯Xクイズを楽しんだりと、毎年趣向を凝らしたおもてなしをしています。

また、太田支所・中里温泉レストランと連携して取り組んでいる太田分校レストランの取り組みも評価されました。こちらは太田地域の食と農の魅力を発信する取り組みです。メニューには分校生のアイデアが取り入れられ、当日は接客や調理補助を担当しています。テーブル小物やメニューのしおりを手作りしており、細やかなおもてなし精神が来場者の好評を得ています。大仙市外からの来場者も多く、広く太田地域をアピールしてくださっています。

表彰式で、浅利蓮生徒会長は「地域の皆さんのおかげで充実した活動ができている。先輩たちが地域の皆さんとつくりあげてきたどこにも負けない自慢の活動と言える。この学校でなければ、地元の良さに気づかないこともあったと思う。後輩には地域の皆さんとともに、これからも地域の魅力を発信する活動を続けて欲しい」と挨拶しました。

地域の高校生が、地域のために動くその姿は、地域住民に元気を与え、まさに「元気なふるさと」を創る存在となっています。
太田分校の皆さん、受賞おめでとうございます。「地域とともに歩む」姿勢から、太田支所では同じ思いを持つ同志のように感じており、今回の受賞はとても誇らしいです。そして、高校生という若い皆さんが、この地域を大事にしてくれている気持ちには、大きな大きな感謝があります。先輩から後輩へ「どこにも負けない自慢の活動」を受け継いでいってほしいと思います。
これからもどうぞよろしくおねがいしますね。この度は、本当におめでとうございました。

太田東小6年かんじき体験

2月21日(金)大台スキー場で太田東小学校6年生の皆さんがかんじき体験を行いました。

教えていただくのは種まきや稲刈りなどでも講師をしてくださっている高橋静良さんです。高橋さんは「雪不足でスキーなどの雪遊びがあまりできなかった子供たちにかんじき体験を通して雪で遊ばせてあげたい」との想いで太田東小学校へかんじき体験を提案したそうです。

高橋さん手作りのかんじき

かんじきを手作りしてくださった高橋さん。

なんと6年生全員分を準備してくれていました!

昔から太田地域では、大きく曲げる必要がある輪の部分に「じさき」と呼ばれる木が使われており、

高橋さんは「じさき」は腰の曲がったおじいさんのような木からきている呼び名ではないかと話してくれました。

「じさき」は若木でなければ、硬く折れやすいため、若木でちょうど良い太さのものを探すのが大変だった。寒い時期は皮をむくのが難しいため、お湯でふやかしてむいている。と高橋さん。

継ぎ目の部分は植物のツルを使うのが昔ながらの手法ですが、今回は針金を使用しています。

また、でっぱりとなっている部分は「ツメ」と呼ばれ、滑り止めの役割があります。ツメにはカエデやケヤキなど硬い木が使われますが、今回は桜の木が使用されていました。

「はじめにつま先をかんじきのヒモの間に通してからカカトを合わせて、残りのヒモでカカトを固定する。こうすればなにをやっても外れなくなる」と高橋さんがかんじきの履き方を説明。

早速実践してみる皆さんですが、なかなか履けずに四苦八苦。

高橋さんも「最近の子どもは足も大きいね~」とかんじきに生徒の足が納まらずに想定外のご様子。

どうにかかんじきを履き終えた皆さん。

「道路は逆に歩きにくいね」

「最初は違和感があるけど慣れると長靴より歩きやすいよ〜」と言いながら、

スキー場の中腹まであっという間に駆け上っていきました。 元気いっぱいに走り回っていたため、暑くなり上着を脱いでいる人もちらほら。

そして最後にはかんじきよりも雪だるま作りに夢中に。。。

やっぱり今シーズンは雪がなくて物足りなかったのでしょうか。より大きな雪だるまを作ろうと大盛り上がりでした。

「子ども達が喜んでくれているのがなにより嬉しいです」と高橋さん。

高橋さんより「みんなはもうすぐ卒業ですね。風邪を引かないようにして、卒業式を迎えてください。」と温かい挨拶がありお開きに。

今年は雪が少なく過ごしやすいなと思っていた私ですが、皆さんが遊ぶ姿に元気をもらうとともに、やはり雪は太田にとっての大切な資源であると感じさせていただきました。

来シーズンは適度に雪に降ってもらいたいな〜と思えるかんじき体験でした。

高橋さん、東小のみなさん、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

横沢東集落 つなぐ伝統行事

2月15日(土)、横沢東集落会による「天筆焼き」が行われました。
昔は太田地域内の各集落で行われていた小正月行事の「天筆焼き」も、今では珍しいものとなりました。「天筆焼き」はカマクラと呼ばれる稲わらの塔に火をつけ、燃え盛る火で願いごとを記した五色の短冊(天筆)を焚きあげ、それぞれの願いが成就をすることを祈るものです。
「天筆焼き」を各集落で続けていくには、カマクラを造る技術の伝承も必要ですし、材料となる稲わらの確保も必要です。「天筆焼き」を知っている人材がいて、さらにそれを伝えようとする情熱もなければ継承はなかなか困難です。
横沢東集落会では、30年以上途絶えていたこの天筆焼きを昨年復活させました。復活を後押ししたのは、「地域の伝統行事を子ども達に伝えたい。今こそ伝えなければいけない」という強い想いでした。
この横沢東集落の近辺はもともと未開の地であり、終戦後に入植者が拓いた地域です。今、集落会を支えているのは開拓2世にあたる方々が多く、苦労した親たちの姿をみて育ち、自らも苦労を重ねた皆さんです。次に伝えたいという気持ちが強いのも納得です。また、数年後には圃場整備によって、この開拓の地も風景が大きく変わることもあり、子ども達に何か残したいという想いもありました。
そんな想いから復活させ、2年目となる今年、「去年やったば、あまりにおもしろくてよぉ」とお父さんたちが口を揃えます。少年のように、朝から嬉々として雪運びやら会場設営やらに精を出します。メンバーには、農家さんはもちろんですが、大工さん、機械のオペレーターさんなど役者がそろい、チームワークもバッチリです。

稲わらは、農家さんが刈取り時に各自とっておくそうです。今日のこの日のために、秋から準備が始まっていることを知りました。

お母さんたちは、集落会館でおにぎりとあたたかいお味噌汁を手作りして、振る舞います。

子ども達は、ミニかまくらづくりやもちつきなど大人と一緒に体験、明るい歓声を響かせます。

 

ついたお餅でおしるこが振る舞われ、みんなで食べるのもまた楽しい。

まさに集落会のみんなが一つになって、楽しんでいることが感じられます。

 

メインの天筆焼きは17:30から神事が執り行われた後、17:45頃に始まりました。
日が傾き始めた時間で、神聖な雰囲気がなおさら際立ちます。

稲わらの塔に火をつけるのは、子ども達が行いました。

火が安定して子どもが近づいても大丈夫になると、天筆を焚きあげます。

天筆の願いごとを聞いてみると、子ども達は「マラソンで1位になれるように」「野球でエラーをしないように」「ヒットをたくさん打てるように」「野球とスイミングで活躍できるように」「勉強で100点をとれるように」など具体的で様々です。大人の方にも聞いてみましたが、「内緒」だそうです(笑)
皆が楽しい気持ちで見守る中、火の粉をまとい天に向かう天筆をみると、神様も楽しくなって全ての願いを成就してくれる気がします。内緒のお願いもきっと叶うのでは・・・(笑)

最後は、大人も子どもも交じって、福分けが行われます。軽トラックの荷台からリズミカルに撒かれるみかんやお菓子を拾います。サービスが良くてたくさん撒かれるので、準備がいい方はビニール袋持参です(笑)

集落の子どもから大人まで心を一つにして取り組む事業は、優しくて楽しいとつくづく感じます。楽しそうな大人の姿を見ると、子ども達もきっと楽しいはず。今回の天筆焼きを通じて、横沢東集落会のチーム力を感じました。
伝統行事は、参加することで行事の意味を知り中身を知り、先人の想いを知り、次につながるのだと感じます。とてもいい行事を見せてもらいました、横沢東集落の皆さん、取材協力ありがとうございました。今後もつながり、受け継がれる行事となっていくことを願っています。

太田の紙ふうせん海を渡る part3

雪国の2月は、小正月行事が盛りだくさんです。

大仙市も太田の火まつり、仙北地域の払田柵の冬まつり、西仙北地域の刈和野の大綱引き、大曲地域の川を渡るぼんでんや大曲の綱引き、鳥子舞、そして中仙地域鶯野の火振りかまくら等々、みんな違ってみんないい小正月行事が大仙市の冬を彩っています。

遠く台湾でも、春節(旧暦の正月)から数えて15日目にあたる夜(旧暦1月15日の夜)を中心に、前後数日間、家々の軒先や街角に燈籠(ランタン)を飾り、新年最初の満月を祝う「元宵節(げんしょうせつ)」というお祭りが各地で開かれています。
この元宵節というお祭りは、高さ1メートルほどの紙ふうせん数百個を一気にあげる天燈上げ(ランタン飛ばし)と、その年の干支をモチーフにした巨大で立体的なランタンを会場に飾るランタンフェスティバルの大きく2種類があるようです。
2015年(平成27年)には、長年交流が続いている大曲青年会議所と台湾新北市中和区の中和國際青年商會の縁で、太田の火まつりの紙ふうせんが初めて海を渡り、平渓天燈祭(ピンシーてんとうさい)で異国の空にあがりました。その後、2017年にも紙ふうせんが海を渡っています。
2015.3.10のブログ⇒太田の紙ふうせん海を渡る
2017.2.16のブログ⇒太田の火まつり coming soon part4 ~太田の紙風船海を渡る~

今年は、台湾新北市元宵節燈会(しんぺいし げんしょうせつとうかい=新北元宵ランタンフェスティバル)に、太田の火まつりの紙ふうせんが展示されることになりました。
西山光博副市長を団長に、太田の火まつり実行委員会の鷹觜信行実行委員長など5人が2月7日の夜の開幕点灯式に出席してきました。

最初に太田の紙ふうせんの展示に尽力してくださった新北市樹林区公所(新北市の樹林支所、人口18万人余り)を訪問。職員のみなさんから熱烈な歓迎を受けました。

陳奇正樹林区長から、樹林区の概要などの説明を受けた後、2020新北市樹林之美新春嘉年華燈會(2020年樹林の美新春カーニバルランタンフェスティバル)会場へ。ここでは小、中学生が絵を描いたランタンを飾り、クリスマスから正月、春節そして元宵節までを祝い、展示されたランタンの中から優秀な作品が選ばれるそうです。

そして新北市元宵節燈会へ。午後6時30分から会場に設けられた水岸ステージで台湾の少数民族が演舞を披露し、7時に侯友宜新北市長の合図のもと点灯式が行われ、今年のテーマである「子年(ねどし)と水岸風情」をモチーフにした数多くの立体的なランタンに明かりが灯りました。

 

 

 

会場には国際交流ランタンエリアが設けられており、青森ねぶたと太田の紙ふうせんが隣り合って展示されていました。立体的で色鮮やかでエネルギッシュな青森ねぶたと、シンプルな円筒型で余白の美を活かした太田の紙ふうせんとは対照的でしたが、周りがきらびやかな分、太田の紙ふうせんが際立って美しく見えました。

青森ねぶたの関係者として開幕点灯式に出席していた青森市役所と青森観光コンベンション協会の方がたによれば「こんな紙ふうせんは初めて見た。とってもきれいですね。青森県ではこのような紙ふうせんをあげるという風習は聞いたことがない」とのこと。

 

 

台湾の首都台北市を囲むように位置する新北市は人口約400万人、新北市元宵節燈会には2月7日から3月1日までの期間中、台湾のみならず世界から約300万人が訪れるそうです。

 

太田の火まつりは、太田町公民館が「郷土を愛する心が文化を育み豊かな地域づくりにつながる。うすれゆく地域の小正月行事を伝承していこう」と町民に呼びかけ、昭和57年2月20日(土曜日)に、太田町公民館と太田町連合青年会が主体となり、大台スキー場入口付近の田んぼを会場として借りて、「ふるさと火祭り」を開催したのが始まりで、第3回目の昭和59年から「太田の火まつり」に名前を変え、今年2月1日に39回目の太田の火まつりを終えました。
実は私は、第1回目の「ふるさと火祭り」からかかわっています。当時は、地元の青年会の一員として、公民館事務所が入っていた生活改善センターの集会室に毎晩のように集まり、お年寄りの指導を受けて、紙質や大きさなどを試行錯誤しながら青年会の仲間とともに紙ふうせんを作っていました。始まりのころは、五穀豊穣や家内安全などの願いや協賛事業所名などを書いた紙ふうせんでした。紙ふうせんに太い筆で文字を書くのが私の役割でもありました。紙ふうせんに絵を描くようになったのは、少し後からのことです。

また、このころは西木村の老人クラブの方がたが、紙ふうせんの作り方を太田へ習いにも来ていました。
5年前に太田地域の80歳代のお年寄りの方がたから聞いた話によれば、昔は習字の書き損じた紙や新聞紙などで作った簡素な紙ふうせんを、稲わらを燃やした煙でふうせんをふくらませ、願いを込めて夜空に解き放ったそうです。太田地域で紙ふうせんあげが、いつの時代から行われていたかは定かではありませんが、お年寄りの話などからすると、少なくとも100年以上前にはすでに紙ふうせんあげが行われていたと思われます。

こうして長い年月の間に、簡素な紙ふうせんから美しい紙ふうせんに、稲わらの煙からガスバーナーの熱風に変化していますが、地福円満や五穀豊穣、無病息災、そして子どもたちの健やかな成長を願って行われる行事を通して、今を生きる私たちは先人の思いを知ることができます。人々の願いは、今も昔も変わりありません。そして台湾も同じでした。

東北3大まつりの一つで、日本を代表する夏のイベントでもある「青森ねぶた」と同格の扱いで太田の紙ふうせんが展示され、長年、太田の火まつりにかかわってきた私は、とても誇らしく、感無量の思いでした。

これまで私は、紙ふうせんは空にあげるものだと思ってきました。紙ふうせんを展示することは一度も念頭にしたことがありません。また、太田の火まつりの際は、紙ふうせんがふくらむと空に放つため、紙ふうせんの美しい絵は一瞬しか見ることができませんでした。
こうして台湾で展示された太田の紙ふうせんを見て、古くから伝わる行事の伝承は、目的を見失うことなく、時代の変化に合わせて少しずつ変化させ、魅せる(見せる)工夫も必要だと感じました。

太田の火まつりは、来年40回目の節目を迎えます。
火まつりの始まりのころは、紙ふうせんが海を渡るなど誰も思っていませんでした。
来年も太田の紙ふうせんを台湾で展示したいと樹林区長からお話しがありました。
台湾と大仙市の縁をとりもってくださった新北市の陳奇正樹林区長に深く感謝するとともに、太田の紙ふうせんが結ぶ台湾との縁が、人と人との交流、やがては物流を生み、経済交流につながることを願います。

第39回太田の火まつり

2月1日(土)、奥羽山荘西側広場において「第39回太田の火まつり」が開催されました。まさに雪不足に悩まされながらの開催でしたが、実行委員会の強い意志のもと、規模を縮小することなく無事に予定通り実施することができました。
太田の火まつり実行委員会も、今年も無事に開催できたことに安堵と達成感を感じています。

実行委員の皆さんは、前年の11月から会議を重ね、資金繰りや当日の運営方法などについて準備作業を進めてきました。
一方で、開催間近の1月中旬になっても雪は一向に積もる気配がなく、まつり内で行われる小正月行事への影響が心配されましたが、実行委員会では「雪が無ければ無いなりに、規模を縮小せず実施する」として、予定通り開催するという判断が下されました。

前回のブログで紹介していますが、開催に向けて、実行委員と支所職員とが協働で、太田地域内の排雪場や公共施設の軒下などに残っている雪をかき集め会場づくりを行いました。

火まつりへの決意

どうしても雪が必要なのが、天筆焼きで使われるカマクラと呼ばれる塔の土台部分、そして、雪中田植えのほ場となる部分でした。
開催4日前、かろうじて会場に必要な雪は用意したものの、その後の天気は、気温が高いうえに雨まで降る始末。せっかく集めた雪が消えてしまわないようにビニールシートをかけたり、固く固めたりと、最後まで気の抜けない、集めた雪を守るための作業が行われました。

そして迎えた当日。
会場には集めた部分以外には全く雪が無く、地表がむき出しになっているという状態でしたが、天筆焼き用のカマクラの塔はしっかりとそびえ、雪中田植えのほ場も何とか持ちこたえているのを確認し、まずは一安心。

 


このような中開催された、太田の火まつりの様子をご紹介します。

午後5時、開場に合わせて、本部前では大仙市商工会婦人部による甘酒が振る舞われました。
温かい甘酒を飲んで温まろうと、早くから集まったお客さんが列を作りました。

小正月行事に先立ち、関係者出席のもと、ふれあい交流館では神事がとり行われました。
周りには静かに神事を見守る観客の皆さんの姿がありました。
厳かな神事の後は、関係者の皆さんによる福分けがあり、神事でお供えしたお菓子が会場にいる子どもたちに配られました。

 

JA加工部による餅振る舞いでは、温かいつきたてのお餅が振る舞われました。
ふれあい交流館で行われた餅つきも、観客の皆さんには大好評。
長身で金髪のひときわ目を引く美人さんも餅つきを体験され、国際色豊かな餅つきとなりました。

午後6時には、鷹觜実行委員長より開会のあいさつがあった後、第一回目の紙風船上げが行われました。
紙風船は普段、ガスバーナーで温めた空気を送り膨らませた後、火種を付けて上げますが、今年は降雪が無いことから、着地した際に延焼する危険を回避する目的で、火玉をつけず紙風船内にためた暖気だけで上げることとしました。
空は晴れ、風もなく、紙風船上げには絶好のコンディション。
例年より気温は高いことから、温度差でちゃんと上がってくれるか不安な面もありましたが、無事成功!
地元の保育園、幼稚園の皆さんが作った紙風船が空高く舞い上がりました。

田の尻集落の皆さんによる、「雪中田植え」の様子です。
雪中田植えは、「たっこたっこ」または「正月田」とも呼ばれ、水田に見立てた雪上に束ねた稲わらと大豆の殻を植えるようにして立て、その年の作占いと豊作祈願をするものです。
新雪を使う例年とは違い、雪を持ってきて作った固雪の田んぼでしたが、田の尻集落の皆さんのアイデアで、先に雪に穴を空けておくことで固い雪へも稲わらを植えられるよう工夫が凝らされていました。

田の尻集落の水谷さんは「せっかく準備してもらった雪。集落の中で固い雪でも植えられるように考えた。」と話してくださいました。

東今泉集落の皆さんからは迫力の太鼓演奏が披露されました。
この「東今泉八幡太鼓の寄せ太鼓」は、東今泉集落に伝わる「東今泉神楽」をもとに再興したもので、集落の幅広い世代で顕彰しながら長年にわたりその技術が受け継がれています。迫力ある演奏とパフォーマンスで集まった観客を魅了していました。

 

そして、本日2回目の紙風船上げが始まりました。
今回、地域、小中学校、大農太田分校、各種団体などで作られた紙風船は38個。
空は依然として穏やかで、大勢の観客に見守られながら、紙風船が一つ、また一つと夜空に放たれていきました。

 

小正月行事を締めくくるのは迫力満点の「天筆焼き」です。
藁で作られた約8メートルのカマクラと呼ばれる塔に火をつけ、その燃え上がる炎に願い事が書かれた5色の天筆をかざし、炊きあげることで願い事の成就を祈るものです。 
このカマクラは、火まつり世話人の武藤定志さんと有志の皆さんの手によって毎年作られています。武藤さんによると、今回は周りに雪が無い事を考慮して、あまり燃えすぎないようにカマクラに使う藁の分量などを調整してくれたのだとか。長年の経験がなせる業です。
また、天筆に願い事を書いてくれたのは、太田地域の小中学生の皆さんです。
地元の消防団員の皆さんが厳重に警戒線を敷く中、燃え盛るカマクラの炎が、天筆に書かれた子どもたちの願いを天高く炊き上げていました。

 

そして、天筆の残り火と冬花火が、イベントのフィナーレを彩りました。

 

こうして大盛況のうちに幕を下ろした39回目の太田の火まつり。
例年にない雪不足は、地域の小正月行事がいかに雪と密接であったかを我々に再確認させるとともに、「雪が無ければ無いなりにやる」という関係者の努力と工夫が試された貴重な一回であったように思います。

来年の太田の火まつりは、いよいよ第40回の大きな節目を迎えることとなります。
雪の無い今年をやりきった達成感と自信から、たとえ雨でも、雪が無くとも「やれる!」...とは思いつつ、やはり適度な雪があればなお良いですね。
来年は適度な雪が積もっていてくれることを願いつつ、無事に開催されることを祈っています。

火まつりへの決意

あまりの降雪の少なさに、冬のイベントの開催が次々と中止になっています。
そんな中でも、今週土曜日2月1日開催の「太田の火まつり」はやります!強い決意をもって、開催に向けた準備を頑張っています。

「太田の火まつり」は、天筆焼きや紙風船上げ・雪中田植えなど太田地域に伝承される小正月行事を集め開催されるものです。冬の観光イベントではなく、あくまで小正月行事の伝承を目的としていることから、中止にはできない、実行委員会での総意でした。
1月23日、実行委員参集のもと、開催前の最後の実行委員会が開かれましたが、「中止」というフレーズは1人からも一言も出てきませんでした。そして、雪がないことへの工夫が議論されます。「火まつり」というように、天筆焼きも紙風船上げも火を使用します。雪が積もった上でなければどちらも危険です。もちろん雪中田植えにも雪は必要です。会場に積雪がなくても必要な分の雪を運ぼう、工夫してまつりを開催しようというのが、実行委員会の決意です。

天筆焼きは、1メートル以上の雪の土台をつくること、ワラの塔の上の方を小さくして火の子の飛散を予防すること、紙風船上げでは火の玉をつけずに熱風のみであげることなどが提案されました。会場となるグラウンド・ゴルフ場の芝を傷つけないよう、必要最低限の重機で作業をすること、重機の立ち入り時にはプラ敷きを準備することなど、とにかく前を向いた話し合いが行われました。

雪運びは1月24日に1回、そして1月28日にも行われました。見渡す限り積雪のない景色が広がりますが、どうにかこうにか地域内で雪を捜し手作業で軽トラックに乗せては会場に運びという作業を繰り返します。

天筆の土台が2つと、雪中田植え用のほ場ができあがっています。
私たちの決意が天に届きますように。
雪雲こいこい!

冬の足跡・春の足音

降っても降らなくても雪の話題になるのが、雪国の冬の定番。「今年は雪なくていいな」と多くの場で交わされた挨拶ですが、この頃ではそんな言葉も言うにはばかられる雰囲気の太田地域です。雪が降らな過ぎるのも困りました。太田では、営業できずにいる大台スキー場のこと、これから行われる火まつりのことを思うと、せめて山にだけはもっともっと雪が降って欲しいと願わずにいられません。

1月21日の朝は太田地域で積雪15㎝、久々に除雪車が出動するほどに降りました。今年度の除雪車の出動はこれで6回目です。太田では11月19日に初雪、その後12月4日からまとまった雪が3日連続で降り12月6日に積雪深45㎝をマーク、実はその12月6日の記録こそが今シーズンの現在までの積雪深のピークです。
たまに降雪はあっても、融けてしまうほどしか降っていません。1月さえも元日から数日降雪があっただけで、1月2日の積雪深33㎝をピークにその後は融ける一方となっています。
大台スキー場については、今シーズンで滑走可能となったのは1月3日から7日までの5日間のみという状況です。
気象統計上では、積雪が 30日間以上継続する状態を「根雪」というそうです。今シーズンは根雪がないなんてこともあるかもしれません。
降雪量についてシーズンごとの累積の降雪量で比較すると、1月21日現在で今シーズンは146㎝、昨シーズン(30年度)は281㎝でおおよそ2倍、その前のシーズン(29年度)は368㎝でおおよそ3倍となっており、今冬の雪の少なさが際立ちます。近年でもっとも降雪の多かった29年度には1月の下旬以降に1日で45㎝降った日もありシーズンの累積で940㎝も降っています。ひょっとして、これから降ることもあるのかも!?

 

冬の気配がどこかにないか、1月21日のまとまった降雪時に、冬である証を見つけるべく「冬の足跡」を探してみました。

 

 

 

 

 

 

 

    動物の足跡      歩道の足跡      除雪車の軌跡

 

実は降雪日の前日1月20日に、私は早々と「春の足音」を感じていました。雪の下からのぞくフキノトウを太田庁舎のすぐそばで発見していたのです。

春の足音を感じて、冬の足跡を探すなんて、皮肉なことになりました。
寒くて厳しい冬だからこそ、暖かい春が待ち遠しくありがたいはずです。こんなに雪が降らないことで、農作物に影響はないのか、夏に豪雨があるのでは、などと心配は尽きません。

もっともっと、冬ならではのスキーや小正月行事などを楽しんで「冬の足跡」を残したい、そう思いながら天気予報に一喜一憂する日々です。

太田町国見で民謡唄い初め

1月5日、太田町国見の北部センターで、「民謡日本一・冨岡久美子さんを応援する会」が開催されました。これは、相野集落の主催によるもので、近年活躍がめざましい地元在住の民謡歌手を応援したいという想いから、今回初開催となったものです。
冨岡久美子さんはお隣中仙の出身で太田に嫁がれました。民謡の時は旧姓の冨岡さんですが、本名は小松久美子さんです。

 

6歳の時から小田島純子先生(秋田民謡小田島会会主)のもとで指導を受け、子育てのため10年間民謡から離れていましたが、そのブランクをものともせず、復帰後も各種大会で好成績を納め唄いつづけています。なんと久美子さんは、秋田県内で開催されている全国大会と名のつく大会・全14大会のうち、11の大会で優勝の栄冠を手にしています。全国大会で優勝、つまりは民謡日本一のタイトルを11も持つ方が、太田在住とは誇らしいことです。この快挙を、地元みんなで喜び、地元みんなで応援したいという想いから、今回「応援する会」が開催される運びとなりました。
「応援する会」の開催が決まると、久美子さんから同じく太田在住の民謡歌手・浜口優花さんと倉田珠衣さんの友情出演が提案され、さらに当日には久美子さんのお師匠さんの小田島先生もいらしてくださるという、なんとも贅沢な「応援する会」となりました。
応援したい地元の皆さんと、それに応える民謡継承者、なんとも太田の人の良さが際立つ取り組みです。新年早々というのもまた、明るい一年のスタートにピッタリです。

当日会場には地域の皆さんが50名程集まり、お正月のご挨拶や、久々にお会いしたご挨拶などが飛び交い、おめでたい雰囲気が広がっていました。開会の前には、主催者を代表して草彅隆之さんから「相野集落は小さな集落ですが、1歩2歩と前に進んでいきたい。今日は、相野の顔となった民謡日本一の冨岡久美子さんの力強い歌声を聴いて、心に残してもらいたい」と挨拶がありました。
民謡が始まると会場中に華やかさと笑顔が広がります。
1曲目は3人娘が揃って唄う「秋田大黒舞」から始まりました。三味線・尺八・太鼓・すりがねの生演奏つきで晴れやかに唄う民謡に、会場全体が引き込まれます。その後、久美子さんが「本荘追分」を、珠衣さんが「秋田港の唄」を、優花さんが「新タント節」をそれぞれ伸びやかに唄います。会場からは一曲終わるごとに大きな拍手が送られました。

 冨岡久美子さん

 浜口優花さん

 倉田珠衣さん

その後、民謡メドレーが繰り広げられました。「秋田おばこ節」「秋田草刈唄」「新庄節」「生保内節」「真室川音頭」「外山節」がメドレー形式で披露されました。唄い手はもちろんですが、小田島一門の演奏技術にも惚れ惚れしてしまいます。
その次には三味線の合奏がされました。「起承転結2020」という曲でしたが、こちらも圧巻のバチさばきと迫力、盛り上がりのたびに大きな拍手が送られました。

その後も、「南外小唄」「秋田おはら節」「秋田飴売り節」「秋田船方節」「秋田長持ち唄」と続き、最後は「ドンパン節」で締めくくられました。
1時間ほどの民謡披露でしたが、新年早々にこんなに贅沢に民謡を聴けて、自分の今年一年の幸運を予感してしまいました。
相野集落の皆さん、今回は素晴らしい企画をありがとうございました。自治会が主導して、地域を元気にしようという取り組みは、太田支所としても頼もしい限りです。太田らしい「人の良さ」と「民謡の良さ」を存分に発揮した「応援する会」だったと思います。
今年一年、相野集落がますます活気づくよう、そして民謡3人娘さんがますますご活躍されることを、太田支所からも祈願しております。よい一年になりますように。

太田産あきたこまちが大嘗祭へ

令和元年も12月に入りました。令和元年ならではの喜ばしいニュースをお知らせします。
天皇の代替わりに伴う重要な祭祀(さいし)として、11月14日・15日に大嘗祭(だいじょうさい)が催されました。大嘗祭とは、皇祖である天照大神をもてなし、平和や豊作を祈願する儀式です。天皇は毎年11月に新嘗祭(にいなめさい)を行い、その年の新穀を皇祖はじめ神々に供え、自らも食べて豊作を祈願します。皇位継承後の最初の新嘗祭が、大嘗祭です。毎年行われる新嘗祭と違い、儀式を執り行うために大嘗宮という建物が建てられ、儀式後には取り壊されてしまいます。谷口太田支所長が、10月6日に建設中の大嘗宮を偶然にもカメラにおさめていましたが、この場所で太田の喜ばしいニュースが生まれることは、そのずっと後に知ることになります。

大嘗祭は豊作を祈る儀式であるため、中心儀式となる「大嘗宮の儀」では、全国から特産品が供えられます。これは、「庭積の机代物(にわづみのつくえしろもの)」と呼ばれ、秋田県からは、米・粟・大豆・セリ・リンゴ・マイタケ・ハタハタの7品目が供納されました。そのうち、お米は、なんと太田産のあきたこまちが選ばれました!米どころ秋田県の代表としてお米を供納できるとは、なんとも名誉なことです。
この名誉あるお米の生産者は農業歴50年以上の佐々木信尾さん(上南)です。信尾さんのお米が選ばれたと知った時、「すごい!」の次に私は「やっぱり~、さすが信尾さん」という想いがありました。私だけでなく、信尾さんを知る人にとっては皆が納得できる快挙ではないかなと思います。信尾さんは、JA秋田おばこ主催のおいしいお米コンクールで、5回も入賞しており「おばこの匠」に認定されています。そのうち金賞を受賞したこともある米づくりの名人なのです。

大嘗祭への供納について、信尾さんにお話を伺いました。
信尾さんに第一報が入ったのは、9月6日。全農秋田県本部米穀部参与さんと米穀部販売課の担当者のお二方が見え、信尾さんに供納について打診がありました。宮内庁から8月30日付けで中央会宛てに供納者の推薦依頼が届いたとのこと。それを受けて、信尾さんに白羽の矢がたったというわけです。信尾さんは、第一に驚きと「私でいいの?」という想いがあったそうです。そんな奥ゆかしい人柄もまた、適任だと思われた要素ではないかなと私は思います。信尾さんは、JA秋田おばこが高品質良質米の生産に積極的に取り組み、実証圃となっていることも選ばれた要因の一つではないかと思っているそうです。

推薦を受けることを決め、その後10月1日付けで信尾さんに宮内庁式部職から通知が届き、正式決定を実感したそうです。精米1.5キロを供納する方法としては、郵送・託送・持参の3種類が選べ、信尾さんは持参での供納を即決しました。せっかくの機会だと、家族も持参を後押ししてくれたと言います。
宮内庁への持参は、10月30日午前中でした。全国各地からの供納のため、午前中は悠紀(ゆき)地方(東日本)、午後が主基(すき)地方(西日本)と指定がされたそうです。信尾さんは、奥様と一緒に前日から東京に向かいました。当日は、皇居の坂下門を通り、宮内庁の建物の中へと入ったそうです。赤じゅうたんが敷かれた講堂に入ると、県ごとにテーブルが設置されており、秋田県の席につきます。式部長官がテーブルごとにお声をかけてくださり、信尾さんも「大変だったでしょう」と労いの言葉をかけていただいたそうです。当日供納者がいただいたお菓子の写真や、天皇皇后両陛下がパレードされた同じ通りでご夫妻で撮った写真などをみせてもらい、貴重な体験の裏側まで教えていただきました。貴重で有難い体験を、生の声として聞けるとは、こちらまで有難い気持ちになります。

信尾さんに、美味しいお米を作る秘訣を聞くと、水の管理とチッソ成分の抑制、そして乾燥調製の最後まで気を抜かないこととお話ししてくれました。水田の水管理では、無駄な分けつをなくすため6月下旬には15㎝の水位を保つなど、細かい管理を心がけているそうです。

信尾さんの米作りのモットーは「自然と調和し よりおいしいものを」だそうです。自然と調和し寄り添っているからこそ、自然の力を味方につけて旨味を引き出せているのだと思います。そしてもう一つ気づいたのは「調和」というフレーズは、まさしく信尾さんの人となりを表す言葉ということ。自然とだけでなく、信尾さんは地域とも人とも調和を実践しています。今回の名誉ある大嘗祭への供納も、信尾さんが築きあげた「調和」から引き寄せたものでないかなと感じました。

信尾さんから、「この経験をいかし、これからの心の糧としていきたいと思います。ここまでお導きいただいた関係各位様に感謝を申し上げますとともに、今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます」と感謝の言葉がありました。この機会に、ぜひとも皆さんに感謝を伝えたいとのこと。
そして「地域に喜んでもらえたことが、一番うれしい」ともお話ししてくれました。
やっぱり「調和」の人ですね。こんなにうれしいニュースを地域にもたらしてくださった信尾さんのためにも、地域みんなでこの良いニュースを喜び合いましょう!
信尾さん、本当におめでとうございます。太田が元気になるニュースをありがとうございます。取材協力ありがとうございました。

奥羽山脈の霧氷

11月26日、青空が広がり太陽が出ていますが、気温は低くピリッとした冷気が漂っています。
奥羽山脈の稜線がくっきりしていて、今日は山がキレイに撮れる予感がした直後、県立自然公園管理員の倉田陽一さんが自然公園の巡回を終えて、太田支所に立ち寄ってくださいました。
なんともタイミングの良いことです。「いい写真ありますか?」という私の言葉を待っていたかのように、倉田さんは「これ、何だと思う?」と撮った画像を見せてくださいました。

雪でもないし、霜でもないように見えます。考えた末に「樹氷?」「違う。これは、霧氷(むひょう)」と教えてくださいました。今日は奥羽山脈の小鷲倉で霧氷の写真が撮れたとのこと。霧氷は過冷却された霧粒が風で木などに吹き付けられ、その刺激で氷となってついたもので、まるで白い花が咲いたように見えます。
霧氷を撮影できるのは珍しく、朝からキンと冷えていて、さらに霧氷がついた後に風がほとんどないため、お昼近い時間までカメラにおさめることができたと言います。
こまめな巡回をしてくださっている倉田さんでなければ、カメラにおさめることのできない風景ですよね。貴重なショット、倉田さんの許可をいただき、皆さんにもおすそわけです♪