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降雪美

「降雪美」という正式な言葉はありませんが、雪が降ったことで美しくなった景色を呼ぶのにぴったりと思いネーミングしてみました。
太田地域の初雪は11月23日、まとまった雪が降り始めたのは12月8日からです。12月8日は12㎝、9日は7㎝、10日は20㎝の降雪があり、3日連続で降った雪により10日の積雪の深さは23㎝をマークしました。こんもりとした新雪が様々な降雪美をつくりあげています。

大台スキー場の雪化粧

 

太田庁舎前の冬囲い

 

農協倉庫の軒下

 

太田球場駐車場のナナカマド

今まで気にしたことのない場所も、降雪により「うつくしく」映ります。

太田庁舎内に、太田地域内の各学校が発行した学校報を掲示していますが、太田東小の「ひまわり通信」に相田みつをさんの言葉が引用されていました。
「うつくしいものを美しいと思えるあなたのこころがうつくしい」

ともすれば厄介者扱いされる雪ですが、見方を変えれば「うつくしい」こともある。そして「うつくしい」と思える自分の心のうつくしさも、たまには肯定してみるのもいいかもしれません。
自分を含めて、何かと否定的な考え方や見方をしがちなこのご時世、努めて「うつくしい」ものを探すことも、心の豊かさになるかも知れませんよ♪

清なる灯り

この時期、あちこちでイルミネーションを見かけます。太田地域のちょっと気になるイルミネーションを紹介します。
太田中学校の校庭の木にイルミネーションが施されています。撮影技術が未熟で、実物の感じを伝えきれずにすみません。実物はもっと明るく優しく校庭を照らしています。清の字が目を引くこのイルミネーション、「聖なる」と「清なる」をかけてる?と勝手に思い込んだ私には、なんだか清らかなライトアップに見えてきます。
この清の字にはきちんと意味があり、今年の3年生が「清輪」学年であることから、輪っかの中に清の字を書いたものです。3年生全員の高校合格を願い、合格発表までライトアップされる予定とのこと。もちろん、地域を安全に明るく照らすという意味で、灯りをともしていることもあるようですが。灯りそのもの、そして全員合格することで地域を明るくしてくれる、やはり「清なる灯り」で間違いないなと自信を持ってしまいます。

イルミネーションには灯りの温かさと同時に、地域を明るく照らそうという気持ちの温かさがあるように思います。太田中学校には全員合格を応援する温かさが、真木苑のイルミネーションにはお年寄りを敬い感謝する温かさ、わんぱくランドの園庭にあるイルミネーションには子どもを守る温かい想いが灯っているように思います。

真木苑のイルミネーション

 

わんぱくランドのイルミネーション

飾りつけは、地元の電気屋さんや先生方などの協力がなければ成り立たなく、そこにも相手や地域を想う温かさがあります。各家庭のイルミネーションだって「おかえり」や「気をつけて」の温かさがあります。相手や地域を想う清らかな心からと思うと、どのイルミネーションも「清なる灯り」と言える気がします。
皆さんもイルミネーションを見る時、ありがとうの想いをもって「清なる灯り」を感じてみてはいかがでしょうか。

「オブ山の大杉」の絵がMOA美術館奨励賞受賞

絵に感動をもらった経験はありますか?
私はこの度、一枚の絵に大きな感動をもらいました。
太田南小学校2年の田村愛花(あいか)さんの描いた「オブ山の大杉」の絵です。
11月23日から25日を会期として、大曲交流センターで第30回MOA美術館秋田県南地区児童作品展が開催されました。普段、絵とは縁のない生活をしている私ですが、魁新聞で作品展のことを知り、愛花さんが描いた絵のことを知りました。
愛花さんの「オブ山の大杉」の絵は、絵画の部の最高賞となるMOA美術館奨励賞を受賞しました。このMOA美術館奨励賞というのはつまり一等賞ということなのですが、どのくらいすごい賞かというと、秋田県の代表として全国審査に出展されるぐらいのすごさです。
新聞で作品展のことを知り、第一に「よくぞ、大杉を描いてくださいました」という感謝、そして作品を見たい気持ちが膨らみました。会場に足を運ぶと、見るほどに「よく描けている。特徴が良く出ている!」という絵そのものへの感動が広がります。しかもこの作品展のテーマが、~美しいもの、楽しいものを見つけて笑顔になろう~と知り、なおさら感謝と感動です。
愛花さんは夏休み中、太田公民館主催の「学びぃフィールドワーク編」に参加し、川口渓谷にある「オブ山の大杉」に会いに行きました。「太田地域の一番」を探してもらいたいという思いで開催されたこのフィールドワーク、その体験が愛花さんに響いたこそ、この絵があるのです。
愛花さんは、フィールドワークに参加したきっかけを「大台スキー場には園の時登ったことがあったけど、もっと山みたいなところに登ってみたくて参加した」とお話ししてくれました。帰ってから楽しかったとお父さんとお母さんに報告したそうです。絵を描いたのは、何日か経ってからだと言いますが、特徴をよくとらえてしっかり覚えているなぁと感心しました。絵を描くことは「まぁまぁ好きな方」と愛花さん、今回はクレヨンと絵の具の両方を使って描いたそうです。実物を見たからこそ描ける形とスケール感、そして幹の表面の感じや葉のつき方など丁寧に描いてくれたことがわかりました。

愛花さんはさらに「この絵を見て太田町にこんなすごい木があることを知ってもらえたら嬉しい」と感想を寄せています。
「オブ山の大杉」について、市の職員がたくさんの言葉を並べて宣伝するよりも、愛花さんが丁寧に描いてくれたこの絵と、この絵をどのような気持ちで描いてくれたかを知ってもらうことが一番効果的ではないかなと感じました。
愛花さん、本当にありがとうございます。そして、おめでとうございます。
これからも、太田のいいところをたくさん探してくださいね!

愛花さんが参加した学びぃフィールドワーク編の様子はこちらからご覧になれます。
↓↓↓
太田キッズまなびぃ 初のフィールドワーク

太田地域文化講演会

11月20日(火)、太田文化プラザで「太田地域文化講演会」が開催されました。この講演会は、太田地域自治組織連絡協議会(長澤信徳会長)の主催で、太田地域にゆかりのある方を講師に迎え、ふるさと太田の良さを再認識するとともに、地域住民の教養と文化意識の高揚を目的に毎年開催しているものです。

今年は、東北大学名誉教授の工藤昭彦氏を講師にお迎えして講演をいただきました。

工藤先生と太田地域のつながりは、旧太田町時代から。当時、秋田県立農業短期大学の助教授であった工藤先生は「太田町農業発展計画」の策定に携わりました。複合経営による所得向上、生産組織の指導育成などの必要性を教示いただき、農業講演会や研修会などでこれからの農業政策について広く啓発をしていただきました。まさしく、太田町農業の進展にご尽力いただいた方です。工藤先生は、農業短大で助教授を務めたのち、東北大学農学部の教授そして平成22年には名誉教授の称号を授与されています。専攻分野は農業経済学ですが、定年退職後は東北大学の教養教育院で特命教授を務められ、「教養」について研究されていました。その経験と、講演会の目的である地域住民の教養の高揚という観点から、この度は『「羅針盤」としての教養について-見抜く力を鍛えるために』と題して講演をしてくださいました。
会場には地域住民のほか、農業短大時代の教え子という方、太田中学校の全校生徒と大曲農業高校太田分校の全校生徒が来場し、会場は満席でした。

工藤先生は講演の冒頭で、中学生・高校生が多いことから、「教養」というテーマだがわかりやすく「部活」に置き換えて聞いて欲しいと進言がありました。工藤先生は「知っている」だけでは力にならない、その知識を「使う」ことで応用ができる。「知る」と「使う」が相互に高め合い、その場にあった知識で応用を繰り返す中で、さらに応用力と知識力が深まり、見抜く「洞察力」が高まり、僕的・私的考えを発信できるようになると語りました。私は私なりに仕事に置き換え「なるほど」と、きっと中学生・高校生は自分の部活動や学習の中の今までの経験に置き換え自分なりの「なるほど」があったことと思います。工藤先生は、大学生への講義でも「考える授業」「参加型授業」「歴史的思考力」「複線型適応力」「レポート提出」に留意したといいます。講演中も、来場者に向けて農業やエネルギーなど様々なジャンルの質問をし、挙手を求めます。講演中でも考えさせたり、参加させたりを意識している気がしました。そして、いろんなジャンルの知識を持ち、いろんな視点で物事を考えることを、身をもって示してくださったように思います。

講演のあとには工藤先生への質問の時間が設けられました。
「国が破綻することはありますか?」という国家規模な質問から「私の家は農家ですが、いい話を聞きません。農業の未来が明るくなる話はありますか?」という身近な問題まで。工藤先生は「農業の未来があると思って従事している人は10%もいない。地域・県・国・国際社会で政策転換を図っていかなければいけない。農家の皆さんは確かに大変だと思うが、うなだれてばかりいても良くない。大変だなと3回うなだれても1回はがんばろうと思うように、そのうち1回うなだれて3回がんばろうと思えるよう変わっていければいい。地域で励まし合えるネットワークをつくっていくのも良いと思う」と丁寧に答えていました。
また中学生から「エネルギー自給率の話がありましたが、太田では水力の他に何かありますか?」という質問も。工藤先生が青森県のバイオマス発電について説明をすると中学生からは「新しいエネルギーに興味をもって、たくさんの知識を得たいです」と力強いコメントもありました。

分校生からは「講演に『基礎ゼミ』や『大講義室授業』がありましたが、高校の授業で取り組めるものはありますか?」と質問がありました。工藤先生は「分校の規模だと、『基礎ゼミ』のような少人数教室がぴったりだと思う。テーマを設定してお互いに意見交換をするのも良い。授業時間でできない場合でも、自主的にサークルでやるというのも良い」とアドバイスがありました。

講演会の最後は、毎年恒例となりました秋田県民歌の斉唱がありました。

工藤先生の豊富な知識と経験から語られた言葉により、中学生も高校生も大人も刺激を受ける講演会となりました。いろんな分野のお話があり、一人ひとりに響くポイントが違ったと思います。「教養」というテーマでしたが、工藤先生の豊富な話題からもやはり「教養」って大事だと改めて感じました。
毎年開催されている「文化講演会」は、昨年は「スポーツ」一昨年は「アーカイブズ」その前は「初等教育」、テーマは様々ですが太田地域に「文化的視点」を刺激してくれる良い機会となっています。私の個人的な思いとしては、質問タイムで地域の中学生や高校生の感性に触れることができることも、一つの魅力です。
今年来られなかった方も、ぜひ来年はご来場ください。何だか賢くなった気がしますよ♪

太田の「いぶりがっこ」

秋田の漬物といえば「いぶりがっこ」、テレビで地域の特産として取り上げられたり、グルメ番組でちょっとおしゃれに取り上げられたり、知名度も上がってきました。
ここで生まれた私たちにとっては、小さいころから慣れ親しんだおいしい漬物の一つです。
3世代同居の我が家でも「いぶりがっこ」は大人気です。直売所に行くと、試食もあり製造者一人ひとりの味の違いまで確かめて購入してくることができます。やはり作り手が見えた方が、安心でおいしいですよね。
太田には「いぶりがっこ」の作り手として頑張っている若者がいます。昨年から取材機会をうかがっていましたが、この度お邪魔してきました。

太田町国見の田口悦章(よしあき)さんは、5年前から大根の収穫からいぶし、漬け込み、販売まで行う「いぶりがっこ」製造を営んでいます。そもそも漬物はその家庭の味で保存食として食されていたものですから、漬物を事業化しようとしたのは、大きな決断だったと思います。
悦章さんは漬物を始める前、東京にいた時に手土産として「秋田の味だから」と、市販されている「いぶりがっこ」を買っていき、おいしくなかった体験があるそうです。仲間同士の語り草になるほど、イマイチであった味とその経験があったからこそ、何よりも「量より味」にこだわっているといいます。

悦章さんのいぶし小屋は、いぶし部屋が4つと物置1つが棟続きになっています。燻煙が窓からもれ、あたり一面いぶしのいい匂いが広がっています。「いぶりがっこ」製造は家族経営、繁忙期にはご近所の方にもお手伝いをいただき、あくまでも量産ではなくできる範囲で良いものを製造しています。

大根畑にも案内してもらいましたが、整然と並ぶ大根にびっくりです。悦章さんのお父さんも畑作農家で専門は「ネギ」です。大根の作付は、3反7畝ほどで、ネギの収穫後に種をまき、二毛作で大根を収穫しているそうです。機械を使用して土を掘り起し、掘られた大根を手で拾い上げて収穫します。いぶし小屋の1部屋に約千本の大根がつるされ、それが4部屋分、3日~4日程かけていぶす作業を1か月以上続けるそうなので、それに合わせての収穫は想像するだけでも大変です。
悦章さんも、製造工程の中で大根を収穫するときの負担が大きいと語っていました。

いぶし加減については、気温・気候、大根の太さ・つるし方、薪の乾き具合で火の位置や加減を調整する必要があるとのこと、納得のいくいぶし方ができるようになるまで3年かかったそうです。薪は広葉樹を使用しており、最初はナラの木で強めにいぶし、サクラで仕上げてコーティングをするそうです。取材時はいぶして1日の時。大根の表面がうっすらと茶色になっています。

 

 

こちらがいぶし終えて漬物用に出荷される大根です。このぐらいしわが入る程度いぶすのだそうです。

今まさに、いぶし作業の真っ最中で、11月いっぱい続きます。火の管理が夜中に及ぶことも多いそうで「自分は消防団員ですから、特に気を付けてますよ~」と悦章さん、製造へのこだわりと安全へのこだわりを感じます。

12月に入ると漬け込みが始まりますが、こちらも自己流。塩と砂糖しか使わず、最初に教わった漬け込み方から、毎年改良を重ねてあみ出した味わいです。取材時にお土産にいただいて、支所のみんなでごちそうになりました。いぶしの香りが強く、塩気も甘味もちょうどいい。保存料や化学調味料がいっさい入っていないのも嬉しいですし、そのことで大根といぶしの味をひきたてている気がします。

取材中もたくさんお話ししてくださった悦章さん、途中で「こんなに話して、いぶりがっこのことを教えくれた人達に迷惑かからないかな」と心配する場面も。私も一応、控えめに書いているつもりです(笑)
悦章さんは「いぶりがっこをやってみたい人がいれば、秘密にしないで、自分が知っている技術は伝えていきたい。『秋田のいぶりがっこ』を後継していくことが大事」と話してくれました。「自分にとって農業は仕事だけでない、地域や仲間とつながるもの、活性化してくれるものだ」と語ります。素晴らしい考え方だなと感心しました。人柄の良さもありますが、そう言えるのは成功も失敗も含めた経験なんだと思います。それと何よりも地域への愛着を感じます。
「農業を通じて今までつながった人へ恩返ししたい」ともお話ししてくれました。今のありのままの充実した姿・頑張る姿を見せることで、恩返しは充分できているような気がします。

悦章さんの「いぶりがっこ」は、角館のお土産屋さんや、インターネットで購入することができます。
興味のある方は「田口さんちのいぶりがっこ」で検索してみてください。

こんな感じで真空パックされています。
農薬・化学肥料不使用、さらに化学調味料無添加です。安全でおいしい「いぶりがっこ」、おすすめです!

バスの車窓から

「コミュニティバス」に乗ってみました。
バスの中から見える「風景」を伝えたい、乗ってこそわかる「現状」を伝えたい、そんな思いをもって11月8日、太田地域を運行する「コミュニティバス」長信田線に乗り込みました。
大仙市では、太田地域、西仙北地域、南外地域で「コミュニティバス」を運行しています。各地域を結ぶ基幹路線として、大仙市と羽後交通株式会社との共同実施により、定時定路線のバスを運行しているものです。
太田地域の地域交通を支える政策は2つ。太田町内で買い物や受診、温泉利用などに利用できる「乗合タクシー」の制度、もう一つは太田から大曲へアクセスできる「コミュニティバス」の運行です。地域内外での生活を支えるために、実証運行などを経て確立された政策です。
太田地域を走る「コミュニティバス」長信田線は、大曲バスターミナル⇔奥羽山荘を運行しており、一日に大曲発が6便、奥羽山荘発が6便あります。仙北支所前など仙北を経由し、中里温泉前も通ります。運賃は片道200円~700円。
地域の大事な公共交通である「コミュニティバス」ですが、乗客数はいつもまばらです。
これからの地域公共交通対策はどのようにあるべきか、市ではアンケートを実施したり、地域協議会で議論をしたりと、今後について検討を重ねています。
そんな背景もあるため、「バス」に乗ってみることで伝えられるものがあるのではないかと思っています。

8:50奥羽山荘前発。始発から乗ったのは私一人でした。バスに乗ってすぐに気づいたことは、運転が優しいことと、目線が高く車窓からの風景が良いこと。いつも見ている風景も少し上から目線(笑)で見えます。

道路脇の木々が近くてキレイなことにもびっくりでした。

「次は○○~」と車内アナウンスが鳴る度に、誰か乗ってくれないかなと期待します。太田地域内の停留所でやっと私以外の乗客が乗り込みました。何となく落ち着きました。仙北地域に入ると三つの停留所で一人ずつ乗り込み、乗客は全部で五人となりました。普段はわりと物おじせずに話しかけるタイプなのですが、この日私は乗客の誰にも話しかけませんでした。バスを使う目的や、利用回数など聞きたいことはたくさんありましたが、この一緒のバスに乗りあわせた偶然だけで、乗客の皆さんの日常に踏み込んだり邪魔したりしてはいけない気がしました。車内の穏やかでゆっくりとした平和を乱したくない気持ちからです。きっと利用する人にとってはごくごく日常の中にある「バス」なんだと気づきました。実際に乗るまでは病院受診の人が多いのかなと思っていましたが、わりとみんな明るく乗り込みますし、病院から遠いバス停で足取り軽く降車する姿をみるとサークル活動かな?お友達との約束かな?などと思わずにいられません。終点の大曲バスターミナルに到着し運転手さんと「乗客が私だけじゃなくて安心しました」という話をしながら「次の大曲発は乗るかな~。大曲発の朝一番の便は、太田分校生が5人使っているよ」と教えてもらいました。なるほど、通学にもっと使用してもらえたらと感じました。太田から大曲の高校へ、大曲から太田の高校へ。私が高校生の頃は電車通学やバス通学は普通で、一緒に乗る友達もたくさんいました。保護者による学校前までの送迎は時間も経費も便利かもしれませんが、駅やバス停から歩くことでの体力増進、時間に合わせて行動する時間管理能力など、電車やバスを使うことにも将来役立つことがあるのではと思ったりしました。より一層通学に利用してもらうためには、毎日の通学に利用しやすい運賃設定も重要な気がします。

そんなことを思いながら今度は折り返しの9:55大曲バスターミナル発に乗り込みます。始発から乗ったのは予想どおり私一人。でもほどなくスーパーの前の停留所で二人の乗客がありました。こちらのお二人はお友達同士なのかお話をしながらの乗車でした。バスの揺れと心地よい話声でときおり眠くなりながら、車窓から見える「風景」を見逃さないように行きよりも多くシャッターを切りながら戻ってきました。お友達同士と思っていましたが、一人の方は太田地域内の停留所で降車し、もう一人の方は終点の奥羽山荘まで私と乗り続けました。長信田線が奥羽山荘まで運行するようになったのは29年度からです。この日のこの便では一人だったかもしれませんが、奥羽山荘までの需要は確かにあることを自分の目で確かめることができました。

バスの旅の往復でわかったことは、「コミュニティバス」は生活に必要なものだということ。通学のため、受診のため、買い物のため、趣味の活動のため、市民の活動の範囲を広げてくれる「バス」が「コミュニティバス」であると感じました。太田という小さな「コミュニティ」だけでなく、バスに乗ることで広い「コミュニティ」で活動できる、そんな意味からも「コミュニティバス」なのかなと、今さらに感じました。

地域公共交通対策には、いろいろな考え方や意見があるかもしれません。
そして、バスの車窓から見えるものも、人によりまた季節により違うかもしれません。
ブログを読んで、「コミュニティバス」に関心を持ってもらえたら幸いです。
そして、たまにはバスを利用してみようかなと思っていただければ、なお光栄です(笑)
たまにはいいものですよ♪

冬へ向かう風景

今年の立冬は11月7日でした。「立」には新しい季節になるという意味があり、「立冬」は冬の始まりを表す季節の大きな節目です。今週は天気の良い日もありましたが、朝夕の冷え込みからも冬が近いことを感じさせます。
立冬を過ぎると、いよいよ初霜が降りて冬の佇まいへと変わります。太田の冬へ向かう様子をお知らせします。

色づく葉が次々と落ちています。秋の終わりが近づいています。

真木渓谷の様子(県立自然公園管理員の倉田陽一さん撮影)

 

太田庁舎の様子

落ち葉は、枝とお別れをしたと思えば少し悲しく、片付のことも思っても悲しくなりますが、それでも天気がいいと彩や踏んだ時のサクッとした音などは趣を感じます。

 

除雪機の隊列の様子

11月9日の除雪安全祈願祭・出動式のため、除雪機が庁舎駐車場に並びました。今シーズンもお世話になります。

 

和賀岳の初冠雪の様子(県立自然公園管理員の倉田陽一さん撮影)

標高1440.2mの和賀岳には、11月2日に初冠雪がありました。平野部からは見えませんでしたが、管理員としていつも真木真昼県立自然公園内の登山道やトイレを管理をしてくださっている倉田さんは、初冠雪のタイミングを逃さずに写真に収めてくださいました。貴重なショットですね。

「立冬」も過ぎたことですし、「雪」というワードも飛び交うようになり、いよいよ冬支度の頃合いです。家の冬囲い、車のタイヤ交換、厚手の上着の準備、インフルエンザの予防接種など、自分自身の冬に向かう準備も頃合いですよ。今週末あたりから取りかかって、冬に向かいましょう!

太田分校 全校民謡発表会

民謡や郷土芸能と言うと、特別な知識が必要なイメージから、ちょっと距離を感じていた気がします。
しかし最近、民謡や郷土芸能もいいなぁと思うようになりました。その理由はいくつかあります。

庶民の生活の中から自然に生まれ、口伝によって長い間受け継がれてきた民謡には、素朴な中にも先人の苦労や悲しみ、喜び、あるいは昔の人たちの美意識や生活に潤いを与えるための笑いなどが詠みこまれています。民謡が伝えてきた先人の想いに、年齢とともに魅力を感じるようになりました。
また先日、秋田市の民謡歌手・小野花子さんが、日本民謡協会の「民謡名人位」に選ばれたと報道がありましたが、2年前の平成28年には太田町出身の故佐々木貞勝先生が「民謡名人位」を授与されています。残念ながら佐々木先生が亡くなった後の追贈でしたが、佐々木先生が秋田を離れ、奥さんのみどりさんとともに生涯をかけて首都圏で秋田民謡を広めようと努力され、ついには「民謡界の至宝」と認められるまでのご苦労の一端を知ったことも、民謡に興味を持つきっかけになりました。
そして、大農太田分校の郷土芸能部のフレッシュで力強い歌や踊りにふれるたびに、ますます民謡や郷土芸能もいいなぁと思います。

前置きが長くなりました。
創立70周年を迎えた大農太田分校の学校祭と全校民謡発表会が10月28日に同校で開催されました。太田分校は毎年、午前中は学校祭、午後は全校民謡発表会と1日で2回楽しめる企画となっています。
全校民謡発表会は今年で9回目。地元の民謡同好会と東今泉八幡太鼓の方々が先生となり、歌や踊り、三味線、太鼓、尺八、太鼓から全校生徒49名がそれぞれ好きなパートを選び、5月から月2回の総合的な学習の時間を全校民謡発表会に向けた練習としています。
この日は、来賓の秋田県民謡協会の王藤正蔵理事長から「今日の発表をとても楽しみにしていた。若い世代の民謡離れが深刻な中、こうして高校生から民謡に親しんでいただき、本当にありがたい。全校で民謡に取り組んでいる学校は、全国でも珍しいのでは。若い世代からもっともっと民謡を楽しんでもらい、民謡の良さを伝えていきたい」とあいさつがありました。

発表会では、最初に郷土芸能部の発表が行われ、次に民謡と東今泉八幡太鼓の先生たちによる模範演奏、そして生徒の発表となりました。

太田町民謡同好会の皆さんの模範演奏

 

東今泉八幡太鼓の皆さんの模範演奏

 

続いて分校生の発表。東今泉八幡太鼓を選んだのは13名の生徒。「三宅太鼓」という曲を、しなやかに、力強く演奏しました。

民謡を選んだのは尺八7名、三味線6名、唄7名、小太鼓8名、踊り8名の合せて36名の生徒。「盛る盛ると 長者の山盛るナ~」で始まる「長者の山」と、「おらが秋田は 美人の出どこ」で始まる「秋田節」を発表しました。

太鼓、民謡とも5月から合わせて10回の練習で習得したとは思えない完成度の高さで、
どの生徒も真剣な表情の中にも民謡を楽しんでいることが感じられました。
この日は、太田文化プラザで太田地域芸術発表会、中仙市民会館ドンパルで太田北小学校の音楽劇、そして太田分校の全校民謡発表会と3つの発表会が同じ時間帯に重なりましたが、それぞれの会場には多くの来場者があったようです。太田分校の全校民謡発表会も、用意された椅子席は満席で、保護者の方がたは立ち見でした。

FMはなびで全校民謡の情報を得たという大曲の方は「ラジオで全校民謡と聞いてもピンとこなかったが、本当に全校生徒が一丸となって民謡に取り組んでいることに驚いた。今日の発表だけで終わってしまうのが残念なくらい良い発表会だった」と話していました。

太田分校では、特色ある学校づくりとして全校民謡に取り組んでいます。全校生徒が一生懸命発表する姿には、心打たれるものがあります。
同時に、これまで9年間ずっと継続して指導してきた先生役の民謡同好会と東今泉八幡太鼓のみなさんの熱意には、ありきたりの言葉になりますが、深く敬意を表したいと思います。
若い世代が民謡に取り組む姿、地元の方の継続した技術指導、「全校民謡発表会」の取り組みは、民謡王国秋田県を支える先進事例と言える気がします。
披露する側だけでなく、聞くこと・観ることでも民謡や郷土芸能の継承の一役を担えるかもしれませんよ。民謡・郷土芸能の継承のためにも、来年の発表会は今年来れなかった皆さんもぜひ会場へ足をお運びください♪

「あの空に虹を!~友だちの友だちはみんな友だち~」太田北小学校全校音楽

毎年、太田北小学校の全校音楽劇を楽しみにしている方も多いと思います。一度みたら、また見に行きたくなります。そんな私ももちろんリピーター、今年も見に行って良かったなとしみじみ思っています。
今年の太田北小学校全校音楽劇は、10月27日(土)が公開リハーサル、28日(日)が本公演でした。
今年は「あの空に虹を!~友だちの友だちはみんな友だち~」という演目、そしてテーマは「だれでもだれかのヒーロー 夢をかなえよう!~友だちの友だちはみんな友だち~」でした。

脚本はわらび座の齋藤和美さんが、子ども達の想いや意見を聞きながら書き下ろすオリジナル作です。虹・友だち・ヒーロー、文字で並べると子ども達が演じるのにありがちな気もしますが、さすがプロの方の脚本は違います!
「赤ずきん」「3匹のこぶた」「オオカミと七匹の子ヤギ」などでいつも悪役として登場するオオカミ、嫌われ者として名高いオオカミだって、だれかを助けることがあってだれかのヒーローになれるということが盛り込まれています。太田北小学校の全校音楽劇は、年ごとに新作と続編を繰り返しており、今年は続編の年でしたが、動物たちみんなのヒーローである前年の主人公がオオカミを友だちと認め、オオカミの良さを引き出しながら劇が進みます。途中魔法にかかった悪役がもたらした危機さえも「友だちの友だちはみんな友だち」「友だちを助けたい」という強い気持ちで乗り越えます。その危機を乗り越えたことで、前年の主人公そしてオオカミの夢までも叶うというあたたかいストーリーです。

森の収穫祭のため、みんなで芋ほりをします

 

動物たちの手助けをして、友だちとして認められるオオカミ

 

バンドの生演奏が音楽劇を盛り上げます

 

ゴロロ(雷の子ども・前年の主人公)が倒れ、悲しむオオカミ

 

オオカミの友だちを想う涙で空に虹がかかりました

 

みんな友だち!収穫祭でサンバを楽しく踊ります

 

人と人のつながりが希薄になっているこの時代に、そして大仙市内で一番児童数の少ない太田北小学校で「友だちの友だちはみんな友だち」と訴えることの意義は、とても深いような気がします。
そして、私が鑑賞した公開リハーサルの日は土曜日で児童クラブの運営日、指導員さんと運転手さんの引率で児童クラブの皆さんも鑑賞に訪れていました。おおた児童クラブは太田東小、太田南小、太田北小の3校の児童が利用しており、それこそ「友だちの友だち」で「みんな友だち」なはず。児童クラブの皆さんは数年前から行事として音楽劇を鑑賞しています。特に今年は、児童クラブの皆さんにピッタリな演目だったため、音楽劇を鑑賞したことも何だか意義深い!と、妙に感動してしまいました。児童クラブの皆さんには、友だちの活躍はどのように映ったのか、気になるところです。もしかしてこの音楽劇の後からヒーローになった北小の友だちもいるかもしれませんね。
「友だちの友だちはみんな友だち」「だれでもだれかのヒーロー」大人が忘れかけている優しくて強いその気持ちを、北小のみなさんに教えてもらった気がします。素敵な音楽劇をありがとうございました。来年の公演も楽しみにしていますね。

川口渓谷紅葉トレッキング ~オブ山の大杉編~

10月19日(金)、川口渓谷の紅葉を楽しみながらオブ山の大杉へと向かう「川口渓谷紅葉トレッキング ~オブ山の大杉編~」が行われ、参加した12名が秋晴れの空の下で心地よいトレッキングに汗を流しました。

「オブ山の大杉」は、川口渓谷のオブ山にある、幹回り12.4m、樹高34m、樹齢1200年以上とされる巨大な天然杉です。
その幹の太さは秋田県一(東北で三位)で、大仙市の文化財に指定されているほか、国有林内における次世代への財産として健全な形で残していくべき巨樹・巨木として、林野庁が定める「森の巨人たち100選」にも指定されています。

8時30分に川口渓谷遊歩道入口を出発。

秋晴れのベストコンディションの中、遊歩道を進んでいきます。
オブ山への登り口は、この遊歩道を1kmほど進んだところから沢目に下り、川を越えたところにあります。
このところ続いていた好天で、川の水深は浅めです。
各々、用意してきた長靴を履き、慎重に川を越えていきます。 川を越えたら、いよいよオブ山の登り口。
急な取っ付きから山道に入り標高約400mをつづら折りに登っていきます。
途中、幾度となく現れる急登や、落葉に覆われた木の根で滑りやすい箇所もあるため、無理せず慎重に歩みを進めます。
登ることおよそ30分、目の前に大きな杉の木が現れました。
オブ山の大杉です。

ほとんどの参加者は大杉とは初対面だそうで、大杉の全容を頑張って写真に収めようとする方もいれば、近づいて上を見上げ、その大きさに思わず「いやぁ~、すごいなや~!」と嘆息を漏らす方もいました。

ちなみに、オブ山の大杉周辺は、つい先日まで倒木や背の高い雑草に覆われていましたが、この日のためにと、いつもオブ山周辺を整備してくれている門脇茂雄さんがあらかじめ刈払い作業をしてくれていました。
私も幾度かここを訪れていますが、下草が刈られ、根元部分からあらわになったオブ山の大杉を見るのは初めてで、どことなく新鮮な心地で見入っていました。

大きさを充分に味わった後は、参加した全員で、大杉の前に簡単な柵を設置する作業を行いました。
もともとオブ山の大杉の周りには、人が踏み入ることでその根を傷めないように木柵が設置されていましたが、現在は降雨や積雪の影響で倒壊し、柵の機能がなくなっている状態です。

大杉の前で一人一本ずつ杭を支え、等間隔になるよう打ち込んでいきます。打ち込み作業が終わったら、あらかじめ杭に開けておいた穴にロープを通して・・・
あっという間に可愛らしくも立派な柵が完成しました。
柵を設置したことで、オブ山の大杉の神々しさが倍増したような気がします。
完成した柵の前で、オブ山の大杉と記念撮影をしました。
その後は、元来た道を戻って下山します。
途中、ときおりオブ山の木々の合間から紅葉に染まりつつある川口渓谷の風景を垣間見ながらの下山となりました。

川口渓谷遊歩道のゲート前に戻ってきたのは10時30分頃。
スタートから2時間半ほどで往復することができました。

トレッキングを終えてみて、参加者の見澤さん(美郷町)からは
「前から見てみたいと思っていたので、今回参加できたのは良い機会だった。1000年以上生き続けているこの巨木は、我々にとって貴重な存在。これからも一目見ようとオブ山の大杉を訪れる人は多いはず。でもやはりその分、根を踏まれたりして木が消耗してしまってはいけない。オブ山の大杉を守っていくために、柵を設置する作業に協力させてもらったことは良い思い出になった」と感想をいただきました。

オブ山の大杉は、その存在感・生命力から見る者に感動を与えるだけでなく、自然を守ることの大切さをここで静かに訴えているようにも感じます。

柵の設置について、当日の急なお願いだったのにもかかわらず、快く引き受けてくださった皆さん、ありがとうございました。

秋深く、紅葉に染まる川口渓谷。オブ山の大杉は、この写真では、山の稜線のちょうど真ん中あたりに写る三角形です。遠くからでも存在を確認できます。
秋の川口渓谷遊歩道では、渓谷が織りなす色鮮やかな紅葉と美しい滝との共演を望みながら、遊歩道散策を楽しむことができます。散策のついでに、オブ山の大杉にも足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

真昼岳紅葉観賞クリーンアップ登山

10月14日(日)、真木真昼県立自然公園を美しくする会が主催する「真昼岳紅葉観賞クリーンアップ登山」が実施され、秋晴れの空のもと、参加した約30名が爽快な登山を楽しみました。

真木真昼県立自然公園を美しくする会は、真木真昼県立自然公園の美しい自然を後世に残していくために、自然公園管理員による巡視活動や登山道の刈払い作業のほか、クリーンアップ登山や各種事業によって自然保護思想の普及・啓蒙活動を行っています。

この紅葉観賞クリーンアップ登山は、平成26年度までは大仙市と美郷町の各圏内で持ち回り交互に実施していましたが、美郷町では近年多発している熊による人身被害の危険性から一時自粛していたため、真昼岳での開催は4年ぶりのこととなりました。

真昼岳では、今年7月に善知鳥口と赤倉登山道とを結ぶ新たな登山ルートが開通したばかりです。この新道開通にあたり、美郷町山岳会の皆さんがボランティアで刈払いや登坂補助ロープの設置などを行い、登山者が利用しやすいようコースの整備を実施しました。
今回の登山では、この新道のPRも兼ねて、赤倉登山口からやせづるルート経由で山頂へ登り、下山時はこの新道を通って善知鳥登山口へ下山するルートが設定されました。

当日は同会の事務局として、美郷町商工観光交流課職員に加え、大仙市太田支所市民サービス課職員もスタッフとして随行してきましたので、その様子をご紹介したいと思います。

午前6時50分、美郷町役場(千畑庁舎)前に集合し、出発式を行いました。この日、登山ガイドを務めてくれるのは、美郷町山岳会の皆さんと、秋田県自然公園管理員の倉田陽一さん。

出発式を済ませたら、バスに乗って赤倉登山口へと出発です。

赤倉登山口の鳥居前で十分な準備体操をした後、いよいよ登山開始。クリーンアップ登山ということで、各々ゴミ袋を携帯し、清掃活動をしながら進んでいきますが、ほとんどゴミらしきものは見当たりませんでした。
これも登山に訪れる方々のマナーの良さ、そして自然公園管理員の皆さんによる巡視活動のお蔭と、ありがたい気持ちで足を進めます。

しばらく沢目を進むと、陽光が差し込む美しいブナ・白樺の森林帯に到達しました。
始めは肌寒かった秋山の空気も、登り始めて暑くなった体には心地よく感じます。ここを抜けるといよいよ視界が開け、このまま稜線伝いに頂上を目指していきます。
周辺の山麓を見渡すと、上の方では部分的に紅葉が始まっている様子が伺えました。間もなく山頂・・・のように見えますが、本当の頂はその一つ奥。
もうひと踏ん張りです。
そして、やっと山頂(1,059m)に到着!
登山口からおよそ5km、およそ3時間半の道のりでした。
好天に恵まれ、眺望も最高です。
参加者全員で集合写真を撮影しました。
30分ほど昼食休憩の時間をとった後、下山開始です。
来た道を少し戻り、新しくできた新道への分岐を進みます。
まだ整備されたばかりの新道の土はふかふかと柔らかく、下りの膝にはありがたい感触です。途中、面白い形の木に出会いました。
アシウスギ(芦生杉)と呼ばれる杉の木で、雪の重みで湾曲し地についた枝から根が出てもう一本の新しい幹となって成長しています。地上ではなかなか見ることのできない、このような木々と出会えるのも山の魅力の一つです。

新道の後半では、急な下り坂が続きます。
張ってある補助ロープを頼りにしながら、一人ずつ慎重に下ります。 下山開始からおよそ3時間。
全員が無事に新道を下り終え、善知鳥登山口に到着しました。
善知鳥口で待機していたバスに乗り、美郷町役場(千畑庁舎)前へ移動し解散となりました。

クリーンアップをしながら、少し早めの紅葉を探しに行った今回の登山。
参加いただいた皆様にとって、普段の登山とは違い、共に登ったメンバーと達成感を共有しながら、この美しい自然を守ることの大切さを実感できた貴重な時間となったことと思います。

真木真昼県立自然公園では、今まさに紅葉が見ごろを迎えています。
真昼岳をはじめ、大仙市太田地域の川口渓谷や真木渓谷など、まだまだおすすめのスポットがたくさんありますので、是非足をお運びいただき、真木真昼県立公園内の美しい自然に秋を感じてみてはいかがでしょうか。

戊辰戦争と太田

今年は戊辰戦争から150年、そして明治元年から150年です。
太田地域の戊辰戦争にまつわる逸話を3つ紹介します。

その1「国見が原の戦い」
1868年(慶應4)1月3日に京都の鳥羽、伏見において始まった戊辰戦争は、やがて東北にも波及し、旧暦7月(現在の8月中旬)には秋田藩もこの戦火に巻き込まれ、秋田藩の3分の2が戦場となりました。
大仙市でも旧暦8月13日から9月18日(現在の9月28日から11月2日)までの1か月余りにわたり、角間川、花館、南楢岡、刈和野、峰吉川、福部羅、小種、境、国見地区で大激戦となりました。
岩瀬河原戦、生保内口戦と並んで「角館三大戦」の一つ「国見が原の戦い」として語り継がれる激しい戦闘が、太田地域の国見地区でありました。
この時戦死した角館軍監の竹村庫之丞(くらのじょう)の死を悼む供養碑が、県道角館六郷線沿いの桜バス停付近にあります。庫之丞は角館生まれの秋田藩士であり、角館軍の偵察役として戊辰戦争に参加。戦中、味方に危急を知らせようと国見を走っていた途中、敵兵に取り囲まれて腹部を撃たれ、37才の若さで命を落としました。深い傷を負いながらも敵兵に大刀を振るい、勇ましい最期を遂げたことが語り伝えられています。庫之丞の武功を嘆賞した村人が戦死した地に桜を植え、その武勇を後世に伝えようと供養碑を建てたそうです。
この地は現在「戊辰戦争の史跡(竹村庫之丞戦死の地)」として大仙市指定文化財となっています。
庫之丞の命日は旧暦8月23日、現在の10月8日にあたります。
供養碑には、今も地域の人たちによって花が途切れることなく手向けられています。

その2 「横沢村初代村長・倉田亦五郎」
のちに横沢村初代村長となった倉田亦五郎(またごろう)は戊辰戦争のとき17才。
太田町百年誌には「亦五郎は敵軍に内通したという誤解を受けたが、間違いであったことがわかり一命を救われた。戦禍を逃れるために東山に隠れ、40日間食事に事欠く生活をし、疲労困憊の末帰宅したが、一時『賊軍』とみなされたことから六尺桶数本の酒は飲み尽くされ、全く目もあてられぬ状態であったために、家運の再建には一方ならぬ苦心をしたという」とあります。
この写真は、戊辰戦争から50数年後の大正10年ごろの亦五郎家族です。前列中央にどっしりと構えているのが亦五郎、亦五郎の後に立っているのが養子の政嗣です。
倉田家は豪農で造り酒屋を営み、屋敷は3反歩(約3,000㎡)もあり、広々とした庭に囲まれた立派で大きな家だったそうで、この写真からも裕福な倉田家をかい間見ることができますが、戊辰戦争の大きな被害を受けていました。

その3 「秋田県民歌3番の歌詞」
「秀麗無比なる鳥海山よ~」で始まる秋田県民歌は、亦五郎の養子の倉田政嗣の作詞によるもの。今年は昭和5年10月30日の県民歌制定から88年となります。
戦前戦中の学校では、校歌とともに行事のたびに歌われていた県民歌は、軍国主義をあおる内容が含まれているとみなされ、終戦後、いつしか教育の場から消し去られました。
歌詞3番に「錦旗(きんき)を護(まも)りし戊辰の栄(は)えは 矢留の城頭 花とぞ薫る」とあり、戊辰戦争の際、明治新政府側に秋田藩が錦の御旗(みはた・官軍の旗)を掲げて戦ったことは栄えあることだと表しています。戊辰戦争のとき、秋田県内すべての地域が新政府側(官軍)だったわけではなく、一部の地域は旧幕府側(賊軍)でした。
こうしたこともあり、教育の場や公式の場では歌われなくなりました。
戊辰戦争から100年後の昭和43年、明治100年を記念して作られた「大いなる秋田」の第3楽章「躍進」に秋田県民歌が組み入れられました。「大いなる秋田」初演当時は、軍国主義の復活との批判をおそれ、歌のない演奏のみだったそうですが、やがて演奏とともに県民歌が「大いなる秋田」の中で歌われるようになりました。
戦前世代の県民歌復活の願いと、県民歌は戦争とは関係ない名歌であることが奇跡の復活につながったのです。

 

ちょうど150年前、そしてちょうど今の時期(旧暦の8月から9月)、戊辰戦争で東北の村々が戦場となっていました。
この「ちょうど」の節目にあたるこの時だからこそ、私たちの地域がこれまでどんな歴史をたどってきたのか、想いを馳せることもよいのでは。
秋の夜長に、町史や百年誌をひもといてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。

オリンピックメダリスト・ワイナイナさんが太田にやって来た

10月6日(土曜日)太田地域で奥羽太田ロードレース大会が、奥羽山荘駐車場を発着とする日本陸上競技連盟公認の特設コースで、市内外から約150人の選手が参加し開催されました。
今回は第20回の記念大会で、ケニア出身のエリック・ワイナイナさんをゲストランナーに迎えました。
ワイナイナさんはオリンピック3大会連続出場されたマラソンランナーです。アトランタオリンピック(1996年)銅メダル、シドニーオリンピック(2000年)銀メダルと2大会連続の偉業を達成、アテネオリンピック(2004年)でも7位入賞を果たしています。マラソンの自己最高記録は2時間8分43秒。

好物はどんぶり物というくらい日本の生活に溶け込み、子どもたちと一緒に写真撮影に応ずるなど、気さくで笑顔がはじける心優しいランナーでした。レース前には準備体操や、足のけり、腕の振りなど早く走るコツなどを選手に伝授。その後、子どもたちと一緒に走ってくれました。
秋晴れのこの日は、ぐんぐん気温があがり、5キロ、10キロがスタートするころは30度を超える夏のような暑さになりましたが、日本陸連公認コースを走る選手は、順位に加えて自己タイムを更新するとばかりに一生懸命走っていました。

レース終了後は、FMはなびのエグゼティブプロデューサーの福原尚虎さんが司会し、 ワイナイナさんのトークショーが開かれました。
ワイナイナさんは「子ども時代はサッカーに夢中になり、走ることにはあまり興味がなかったが、走りが早いことを見ていた先生に進められて6キロのロードレースに初めて出場したら、いきなり優勝し、自分は早いんだということがわかった。子ども時代を過ごした地域は電気も水道もなく、片道5キロを走って井戸へ水を汲みに行き、10リットルのバケツの水を両手に持ち帰った。勉強は好きで、でも電気が無かったので夜勉強することができないために、学校で一生懸命勉強した」ことなどが話されました。
ワイナイナさんは、ときどき正月恒例の箱根駅伝でおなじみの日本の大学の留学生に間違われるそうですが、高校卒業後の1993年、19才のときに一人で日本に来てコニカミノルタ陸上競技部に所属し、翌年の北海道マラソンでいきなり初マラソン初優勝を飾り、その後も東京国際マラソン、長野マラソンなどさまざまなマラソン大会で優勝し、オリンピック2大会連続メダリストとなり、現在も100キロマラソン大会などに選手として出場しているそうです。日本に来て最初に指導を受けた監督は、秋田県出身の方だったそうです。
赤道直下のケニア共和国は、とても暑い国だろうと思っていたら、ワイナイナさんが育った地域は標高2,400メートルを超える高地で、真夏でも気温は28度程度と涼しく、また高地のために気圧が低く、現在は世界各国のマラソン選手などが高地トレーニングに訪れるそうです。
生まれながらの環境と井戸へ水を汲みに行った子ども時代の経験、そしてワイナイナさんが好きな言葉である「Never give up(決してあきらめない)」という強い気持ちが、ワイナイナさんをマラソンランナーとして強くしたようです。
「食べ物はどんなことに気をつけていますか」という中学生の質問に「選手はドーピング検査があるために、風邪をひいても薬を飲んだり、また簡単に湿布を貼ったり薬を塗ったりできない。目薬でもドーピングにひっかかるため、常に体調を維持し、ケガをしない丈夫な体を作るためには、食事が非常に重要。好き嫌いなくどんな物も食べています」との答え。また「好きなくだものは何ですか」という質問には「バナナです。バナナは栄養が豊富で、レースの前には必ず食べます」とのこと。
日本に来たときは、全く日本語を話せなかったそうですが、独学で日本語を学び、いまは流暢に日本語を話します。東京での生活が25年となり、日本が第二の故郷となったそうです。
「子どもたちにメッセージを」というお願いに「やればできる。やらなければ何にもできない。ネバーギブアップ、決してあきらめないという気持ちで、いろんなことに挑戦して欲しい」と話してくれました。

収穫!ありさこまち

6月のブログで太田の農業女子として紹介した小松有沙(ありさ)さんの稲刈り作業にお邪魔してきました。

6月太田の農業女子☆ありさの記事はこちらから

 

18町歩の作付をしている有沙さんの稲刈りは1か月以上続きます。18町歩という広大な作付面積ですから、刈取りに時間がかかるうえに、刈取り後の籾の乾燥も自宅の乾燥機2台をフル活動させて行うため、刈取り量と乾燥量とを調整する必要があり、作業日程の調整も必要です。さらにお天気との調整もあるので、長丁場は避けられません。農業は、体力と忍耐のいるお仕事だとつくづく感じます。
10月10日、今にも雨が落ちてきそうな天気でしたが、「春作業の取材時と同じところを刈るよ~」という連絡があり、秋作業もパチリしたい!と意気込んでお邪魔してきました。
天気がイマイチなのが残念でしたが、曇天でも有沙さんは爽やか。稲わらのチカチカ防止のマスクがうらめしいですが・・・。

この日も、父娘がチームワークよく作業を進めていました。コンバインの操作が難しい田んぼの端の方はお父さんが刈取り、有沙さんは機械の刈り残しを鎌で刈っていきます。

その後、コンバインの操作を交替。機械を操作する時の真剣な表情としぐさは、いつもはキュートな有沙さんのかっこいい部分がでます。

黄金色の稲穂と農業女子と大台スキー場。太田のいいところが並んだショットです。

有沙さんが育て収穫した「ありさこまち」、春に商標登録の申請中とのことでしたが、まだ認定許可はおりないとのこと。残念がる私と対照的に、有沙さんは「時間かかるから、そんなもんでしょ」と冷静です。慣れた様子の有沙さんに、経験値の差を見せられた気がしました(笑)

農業という仕事には、天気を待ったり、作物の生育状況を待ったり、時には各種申請許可を待ったりと忍耐が必要なことを感じます。これも収穫の喜びを際立たせる要素になっているのかもしれません。
有沙さんによると、今年はあまり収量は多くないとのこと。そして、平野部より山際の方が収量が多かったそうです。

ほ場から刈り取られた「ありさこまち」は、これから有沙さん宅の乾燥機で乾燥調整し、籾すり作業をした後、色彩選別機でカメムシ被害米などを取り除き、品質の良い状態で計量・袋詰めをして出荷準備を整えます。「ありさこまち」は、生産者の顔が見える、安心安全そして高品質なお米と言えますね。
「ありさこまち」は、予約販売制です。太田の農業女子を応援したい方、お米にこだわりのある方は、ぜひインターネットで「ありさこまち」と検索してみてください♪

太田流おもてなし

10月8日(月)、太田秋田ライオンズクラブの皆さんが、川口渓谷遊歩道の草刈り作業を行ってくださいました。これは、ライオンズクラブの皆さんが地域に貢献するような活動をしたいということで実施されたものです。
川口渓谷はこれから紅葉の季節を迎え、たくさんの方が訪れることが期待されます。10月19日(金)には、太田支所主催の「川口渓谷紅葉トレッキング~オブ山の大杉編~」が実施されることから、遊歩道をより歩きやすく美しくしたいというおもてなしの心で、この活動を実施してくださいました。
この日活動に参加してくださったのは11人、ライオンズクラブの皆さんですから、メンバーは社長さんや税理士さん、それに信用金庫の支店長さん、郵便局の局長さんなど、普段は草刈りとは無縁そうな方々ばかり。草刈機や大きな鎌を持参し、2時間ほど汗を流しながら作業をしてくださいました。

普段の仕事とはかけ離れた作業にもかかわらず、草刈機の使い方も慣れたものです。遊歩道の路肩の雑草や、歩道にせり出した藪を、歩行に支障がないように刈り取っていきます。
太田流のおもてなしの心意気を見たような気がしました。

同行して写真を撮りながら、ライオンズクラブの皆さんの太田への愛着を強く感じました。太田地域でそれぞれの分野でリーダーとして活躍される皆さんが、「この地域のために」という共通の想いで汗を流してくださったことは、大変ありがたいことと感じました。
リーダーが率先して行動することは、その組織の活性化につながると思います。今回参加された皆さんの活動も、それぞれの職場や組織できっとよい刺激になるのではと期待しています。そして、地域全体が「この地域のために」と盛り上がっていければ、なおさらいいですね。
参加された皆さん、「おもてなし」精神あふれる活動をありがとうございました。皆さんのおかげで、ますます川口渓谷のおススメ度がアップしました。
今度はぜひ、草刈機を持たずにゆっくりと川口渓谷の散策をお楽しみくださいね♪

秋晴れの空の下 子ども達の活動を紹介します!

10月3日、台風一過の秋晴れのこの日、太田では、秋ならではの子どもたちの活動が目白押しでした。その様子をお伝えします。

まずは、「スポーツの秋」にちなんだ活動から。
太田東小学校(菅原潔校長・児童数115名)のマラソン大会にお邪魔しました。菅原校長先生は「今年度の学校行事は全て晴れ、お天気に恵まれています。今日は学校生活の『あいうえお』の中の『う』運動をします。皆さんにお願いです。『にげない』今日はこれを約束してください」と挨拶がありました。

全校児童から「はい!」という元気な返答があり、なんだかそれだけで感動の予感がします。地域の方や保護者の方も応援に駆け付けていました。
走る距離は、1・2年生は1㎞、3・4年生は1.2㎞、5・6年生は1.5㎞です。疾走順は3年生から始まり4年→1年→2年→5年→6年の順番でした。次のレースの学年はフィールド内で待機しますが、それ以外の学年はコース脇で声援をおくります。

走るのも声援をおくるのも、全力!お天気さながらスカッとするようなマラソン大会でした。特に4年生のレースでは、最終ランナーがグラウンドに戻ってくると、走り終わった同級生たちが駆け寄り伴走する姿も。
校長先生の挨拶の「にげない」ことを有言実行したランナーと、それをサポートした仲間に感動を受けました。

 

次に「秋のフィールドワーク」の様子をお伝えします。
太田地域の奥羽山荘や秋田奥羽グラウンド・ゴルフ場の手前にある体験施設「モリボの里」は「おでかけの秋」にぴったりの場所です。ふれあい動物舎やビオトープ、散策路などがあり、園児の遠足や小学生のフィールドワークに人気のスポットです。
お天気に恵まれたこの日は、四ツ屋保育園の年長さん・年中さん・年少さん、中仙小学校1年生の皆さんが訪れていました。モリボの里の管理人さんは「春もたくさんの人が来てくれたけど、これからが一番いい季節。木の実などもたくさんあり、散策もめいっぱい楽しめる。ここには、市内の西部南外からだって来てくれる。動物園よりも近い位置で牛や馬にも触れ合える。昔は家庭にいた動物でも、今の子ども達は犬や猫しか知らないから、ここで違う命を知ってもらうことは、すごく良い情操教育だと思っている」と話してくれました。拾ったドングリを見せてくれた子や、ウサギを触ったよと教えてくれた子、どの子も満足そうな笑顔、人気の理由も納得でした。

ちなみに、四ツ屋保育園の皆さんにはウサギが一番人気、中仙小学校の1年生にはクジャクが一番人気でした。

 

最後に「食欲の秋」にちなんだ活動の様子を紹介します。
太田南小学校(下田亮校長・児童数115名)の「なべっこ」にお邪魔しました。ここで生まれ育った私たちは「なべっこ遠足」に慣れ親しんでおり、秋と言えば「なべっこ」というのはごくごく普通ですが、なんと「なべっこ遠足」があるのは秋田県だけらしいです。道具や材料を持ち寄って、みんなで鍋料理を作る学校行事は、秋田県にしかないと聞きました。グループに分かれて、メニュー決めや持ち物の分担、当日の役割分担など、高学年が低学年のお世話をしながら行う「なべっこ」、こんなに教育的な行事ができる秋田県って、学力テストの結果よりも自慢できる気がします(笑)
太田生まれの、ジブリの絵職人・男鹿和雄さんの著書「秋田、遊びの風景(徳間書店)」にも、なべっこ遠足について文と絵が掲載されています(P64~66)。私の頃も男鹿さんの頃も、「なべっこ」は川原でというのがスタンダードでしたが、南小学校ではグラウンドで行われていました。薪を使って、真っ黒になった鍋もなんだか懐かしく思いました。

グラウンドにグループごとの輪が広がり、食欲をそそるおいしい匂いが広がります。豚汁のグループといものこ汁のグループがありましたが、どのグループでもネギはもちろん、南小学校で2年がかりで育てた「横沢曲がりネギ」です。緑の濃さと匂いがお鍋の中で存在をアピールしていました。

あるグループでは、味見の担当さんが「おいしい!」と太鼓判を押して完成、「大成功?」と聞くと「はい!」と満面の笑みで答えてくれました。おいしいのは、見るだけでわかります。ほおばる表情と、おかわりの回数が全てを物語っていました。

「子どもは地域の宝」とよく言われます。子ども達がいつも宝物のように輝けるように、大人はいろんな活動をサポートしていきたいですね。
秋ならでは子ども達の活動に、それぞれの活動の意義を感じ、かえって教えられた気がします。
刺激を受けた私は、今度の3連休は運動してみるかな?動物園もいいな、外でなべっこも楽しいかもと、思いを巡らせています。
皆さんも子ども達の活動をヒントに、秋らしい過ごし方を楽しんでみてください。

最盛期!!「大曲の花火ダリア」 (おおたはなだより№20)

みなさんは「大曲の花火ダリア」というダリアをご存知ですか?「大曲の花火ダリア」とはJA秋田おばこが2016年にブランド化したダリアの総称です。全国的に知名度の高い「大曲の花火(全国花火競技大会)」をダリアのブランド名として取り入れ、近年、全国に出荷されています。

「大曲の花火ダリア」は、JA秋田おばこと市の花火師が色や形など花火をイメージしたダリアの新品種の中から、投票を行い選定するものです。現在、第1期生から第3期生のダリア(計8種類)があり、今年も第4期生が誕生する予定です。
「大曲の花火ダリア」の栽培を最初に始めたのは、JA秋田おばこの前ダリア部会長で太田地域にお住いの高橋孝夫さん、高橋明美さん、伊藤和子さんの3人。7年前からダリア栽培に取り組んでおり、様々なダリアを栽培しています。現在、JA秋田おばこ管内で約50戸の農家がダリアを栽培していますが、太田地域ではその約2割にあたる10戸の農家がダリアを栽培しています。
今回は、太田地域で栽培されている「大曲の花火ダリア」をいくつか紹介します。

 

1) 和火(わび) (高橋孝夫さん)

花火のなかで、燃焼温度が低い黒色火薬系のもので、赤橙色の花火を「和火」と呼び、この花の色と形が「和火」を連想させます。

 

2) 紫銀乱(むらさきぎんらん) (農事組合法人アグリフォー 高橋明美さん)

紫色の花火の最後に銀色に先が乱れる変化をする「紫銀乱」という花火のイメージから名づけられたダリアです。

紫銀乱のつぼみ。花火が咲く直前の火種のようです。

 

3) 橙炎(とうえん) (大仙市東部新規就農者研修施設 井上侑さん)

鮮やかなオレンジ色と、花弁のゆらめきが「炎」をイメージさせることから、この名前が付けられました。

 

4) 花紫音(はなしおん) (大仙市東部新規就農者研修施設 井上侑さん)

濃い紫色が、色と共に鮮やかに夕空を彩る紫色の昼花火をイメージさせることから、この名前が付けられました。

花の茎が連続して咲く直前の花火の光跡のように見えます。

 

太田地域では現在、ダリア収穫の最盛期を迎えており、花き農家や大仙市東部新規就農者研修施設などで収穫作業が行われています。生産者の方と話をしていると、花それぞれの性格が異なり、育成には苦労すると話されていましたが、その顔は花のようににこやかでした。花を生産する方々はみな心やさしい人たちで、そんな人たちに育てられた花だからこそ大きく美しく咲いているのだなぁと感じました。

大曲の花火ダリア栽培の第一人者、高橋孝夫さん。

大仙市東部新規就農者研修施設で花き栽培を学ぶ井上侑さん。来年からは実家で花き栽培を行う予定。

 

現在、大仙市の本庁舎の入り口に「大曲の花火ダリア」が飾られています。太田で生産されたダリアもあるかもしれません。来庁された際は、ぜひご覧ください。

秋のおススメ「川口渓谷」

スポーツの秋、「スポーツ」までとは言わないけれど、適度に体を動かしたいという方に、川口渓谷遊歩道のウォーキングをおススメします。
川口渓谷へは奥羽山荘の奥に続く砂利道を進みます。奥羽山荘から約1.6㎞、車で約5分進むと遊歩道の入り口に到着、車の進入はここまでです。

ここから一番奥の川口鉱山跡までゆるやかな上りの遊歩道が5.75㎞続きます。

徒歩で片道1時間半ほどかかる道中には、トイレつきの休憩所もあり安心ですし、滝がいくつもあるほか、川口鉱山慰霊碑があったりと見どころも満載です。

これからの季節は紅葉で木々が色づく中、彩りを満喫しながらウォーキングを楽しむことができます。

川口渓谷は、同じく太田地域にある真木渓谷と比べて、女性的な優しさがあると言われます。荒々しい真木渓谷と比較し、四季折々の彩りと数多くの滝の流れが女性的な優しさを連想させること、そして、青鹿(カモシカ)の親子愛をせつなく悲しく伝える「川口山伝説」の存在もまた、川口渓谷の優しさを連想させます。
「川口山伝説」とは、弓の名手に獲物として狙われた青鹿の親子の伝説です。矢を放たれ傷を負った母鹿の傷口を、温泉の湧く沢で子鹿が頬ずりするように洗っていたのをみて、弓矢の武士は以来殺生を禁ずる覚悟を決めました。そのとき、向かい山の崖にいた猿の一群が弓矢の武士の姿を見て驚きの声を上げ、その声に驚いた青鹿の親子は一目散に逃げ出し、母鹿は子鹿が南の沢に逃げ延びるのを見届けたあとに、自らはおとりとなるように北の沢に姿を消しました。現在、子鹿が逃げた南の沢の奥の山を「鹿ノ子山」といい、母鹿が逃げた北の沢の奥の山を「青シカ山」と呼んでいます。そんな伝説を感じながら、ウォーキングするのもまた文化的で健康的な気がします。
また、民謡「秋田おはら節」の全国大会は、ここ太田で開催されていますが、この「秋田おはら節」の歌詞に「野越え山越え深山越え あの山越えれば紅葉山 紅葉の下には鹿がおる 鹿がホロホロ泣いておる 鹿さん鹿さん何故泣くの」とあります。太田が「おはら節」の発祥の地ではないようですが、「川口山伝説」とリンクする歌詞にもご縁を感じてしまいます。

参考までに、9月28日午前中に訪れた時には、遊歩道入り口付近では気温19.1℃、一番奥の川口鉱山跡では15.4℃。これだけ気温が違うので、やはり里とは紅葉の時期が違います。今年は10月中旬頃には紅葉の見ごろを迎えそうです。その頃を狙って、ぜひ川口渓谷へいらしてください。

稲穂の実る時季(とき)黄金色に輝く瞬間(とき)

「今年の夏は暑かった… 本当に暑かったですね」とは、太田分校レストラン(9月号)の案内チラシの冒頭ですが、そんな酷暑を乗り越え、季節は実りの時季となりました。太田地域では、夏の風景から秋の風景に移ろいでいます。

ブログでは、5月から6月にかけて水田の様子【5/18水田を眺めて】や、田植えの様子【6/1太田分校田植え協議会,6/4農業女子☆ありさ】をお伝えしましたが、その稲がすくすくと成長し、稲刈り直前の秋の見頃を迎えています。

所々にまだ若干の青さがみられますが、秋の日差しに輝く稲穂はまさに「黄金色」。地域を回り気づいたことは、曇りの日でも穏やかな黄色に見えますが、晴れの日は見る方向(日差しの角度)により、同じ稲穂でも明らかに輝きに違いがみられるということでした。

5月18日の水田のブログ記事では、昭和30年~40年代に田の区画整備が行われたことを紹介しましたが、現在、太田地域では再び区画整備が行われています。

これは、1区画を1町歩まで広げ、農地の集約と生産性の向上を目指したものですが、仙北平野に位置する太田地域では、そのおかげもあってか、稲穂がどこまでも続く「黄金色の絨毯」を見ることができ、その風景は以前にも増して壮大で感動的です。

写真には収めることができませんでしたが、夕方、黄金色の絨毯の上に無数のとんぼが飛び交い、その羽が夕日に反射してキラキラと輝く幻想的な風景に出会うこともできました。まだまだ感動的な風景があるかもしれません。今週末の連休は天気も回復し、行楽日和。ぜひドライブ等で太田の秋の風景を見にいらしてください。

秋、見つけた!

朝晩の冷え込み、台風の訪れ、お天気に秋を感じるようになりましたね。
見渡せば、稲穂も黄金色に。「秋、見つけた!」を太田からお伝えします。

収穫の秋。刈取りを待つ稲穂。猛暑の夏を乗り切った今年の作柄が気になりますね。

実りの秋。野生のあけびを三本扇で見つけました。支所内ではあけびを初めてみた職員も。種ごと果肉を口に含み種だけを吹き飛ばして食べたこと、ほろ苦い皮の食べ方など、残念ながら話が盛り上がるのは40代まででした(笑)最近では、料亭などで高級食材として提供される傾向もあるようです。

秋の味覚、栗。栗ごはんや渋皮煮もいいですね~。

秋の花、コスモス。咲き始めました。コスモスは市の花です。こちらは太田公民館前でパチリとしたものです。群生する様もきれいですよね。次々と咲くのが楽しみです。

読書の秋。太田図書館では、「秋の夜空を楽しむ本」コーナーを設けています。秋の夜長に読書もいいですね。

夏の疲れが体や心に出ている方も、連休中に、のんびりと自分の好きな「秋」を探してみてはいかがでしょうか。

夏色グリーンのその後と晩生枝豆

7月下旬に太田地域の夏色を紹介しましたが、それから早一ヶ月。9月に入り、真夏の痛いくらいの暑さも和らぎ、夏色グリーンも移ろいでいます。

 

手前から、大豆・蕎麦・稲穂、そして大台スキー場

大豆の緑色が濃いのは相変わらずですが、そばの白い花が咲き、稲も実を付け、黄金色になってきました。写真手前から奥へ、夏から秋へと色合いの変化が季節とシンクロしています。

そんな夏のおわりが感じられる9月上旬、太田地域では晩生枝豆の収穫作業が行われていました。
この日訪れたのは、太田町国見の小松正信さんの枝豆畑。枝豆の収穫作業は手作業もしくは手押し型の機械による収穫が一般的ですが、小松さんは今年からトラクターを使い収穫作業を行っています。

トラクターに取り付けられた枝豆収穫機

収穫機はアタッチメント方式でトラクターに取り付けができるので、普段の農作業で使い慣れたトラクターで作業ができ、今まで一往復していた畝を片道のみで収穫できたり、莢(さや)の取り残しを減らすことができたりと、作業効率が大幅に上がったそうです。

枝豆の収穫作業。早い!!

枝豆と言えば、夏休みにスイカやとうもろこしと共に食卓に並ぶイメージがありますが、秋田県一の枝豆の産地である太田地域では7月中旬から10月上旬までの長い期間で、早生~晩生の約30品種の枝豆が出荷されています。
今回の取材時に収穫していた枝豆は、秋田県のオリジナル品種「あきたさやか」という枝豆で、晩生の中でも早い時期に収穫される種類の枝豆でした。一口に枝豆と言っても品種は様々。もっともよく知られている「湯上り娘」やあきたさやかと同じ県のオリジナル品種で甘みが強く、莢の大きい「あきたほのか」等が太田で栽培されています。
「あきたさやか」は現在出荷されており、「あきたほのか」はこれらから出荷されていくそうです。まだまだこれからも太田の枝豆を食べることができますので、枝豆の味や種類を比べながら、夏のおわりの枝豆を楽しんでみてはいかがでしょうか。

太田地域の佐藤春雄さん、テレビ出演!!

8月20日、太田地域にお住まいの佐藤春雄さんにあるテレビ番組の出演依頼がありました。そのテレビ番組とは、AAB秋田朝日放送の「ぷあぷあ金星」。5月30日にこちらのブログで紹介した太田地域の「おにょ様」を取りあげていただいた番組です。 【5/30「おにょ様」のブログ記事】

前回の企画は、地域に祀られている道祖神(おにょ様)を取りあげたもので、おにょ様が祀られている神社を管理している佐藤春雄さんが、おにょ様の歴史を知る方として出演しました。春雄さんのとてもまじめで気さくな人柄がテレビ局のハートを射止め、今回、再び番組に出演してほしいと依頼がきたものです。8月27日に太田地域にある中里温泉で収録があり、太田支所もその収録に立ち会わせていただくことができましたのでその様子を紹介します。

今回の企画は、番組レギュラーのバリトン伊藤さん、シャバ駄馬男さんとともに東北地方を中心に活動されている若手シンガーソングライターのティーナ・カリーナさん(注:日本人です)が県内各地を訪ね、昭和歌謡を歌う、というものでした。前回の番組収録で北島三郎さんの「山」を歌った春雄さん。今回も「山」を熱唱されました。

春雄さんの熱唱に刺激を受けたティーナ・カリーナさんも、お返しにと有名な昭和歌謡を熱く歌いあげました。

最後にカリーナさんのサイン入りポスターを春雄さんにお渡しし、収録は終了。

春雄さんは、収録の中で、「歌を歌うことは趣味の一つとしてペアーレの講座に通いはじめたことがきっかけだったが、今では生きがいとなっている。自分の好きなことでこういう風に声をかけてもらえるのは本当にありがたい」と話していました。また、「歌を通じて若い人たちとふれ合うことで刺激をもらったので、まだまだ長生きすることができる」と言っていただけました。

今回の収録に立ち会い感じたことは、「自分にとって生きがいを持つことの大切さ」でした。歌に限らず、様々なことに挑戦することで、人との出会いがあり、新しい発見や気づきがあるものだと感じました。春雄さんは今年85歳になったそうですが、とても若々しく活き活きとしていました。

ちなみに、ぎりぎり昭和生まれである私ですが、今回の立ち会いの予習として家にあった昭和歌謡のCDを聴いてみました。今流行りの歌も良いですが、昭和歌謡にも良い歌がたくさんあることを発見しました。

それでは、また逢う日まで、、、(^^

 

※ なお、今回企画・収録されたものは、下記の日程で放送予定です。ぜひご覧ください!
番組名:ぷあぷあ金星(AAB秋田朝日放送)
放送予定日:平成30年9月7日(金)、14日(金)24:15~
(春雄さん出演は14日の予定)

※ ティーナ・カリーナさん
2012年にメジャーデビュー。大阪出身ながら、東日本大震災後まもない時期に仙台に活動拠点を移し、昭和歌謡を数多く歌う。誰もが口ずさめる音楽、家族や同志との多くの思い出が積もった名曲、昭和歌謡を歌うことで様々な地域や世代をつなぐ。日本人の心を結び付けて来た名曲たちをいまの時代に再現し、また新たな時代に伝承するため彼女は歌い続けています。
(※ 一部、パンフレットから引用しました)

※ 今回、太田に訪れたティーナ・カリーナさんの公演が秋田であります。昭和歌謡を堪能できます。中里温泉にポスター、パンフレットがありますのでご覧ください。(太田支所には置いてありませんのでご注意ください)
ティーナ・カリーナ「ひとり昭和歌謡祭」
日 時 : 平成30年9月22日(土)
場 所 : 秋田市文化会館 小ホール

太田分校70周年記念写真展

金足農業高等学校の甲子園での大活躍で、県内は大いに盛り上がりました。金農の皆さん、本当に感動をありがとう!こんなにワクワクして清々しくて感動的な夏をありがとうございます!秋田県民の記憶と歴史に残る夏になりましたね。
そして、金農の活躍で農業高校が注目される中、太田でも大曲農業高等学校太田分校に再注目です。
太田分校は今年創立70周年の記念の年です。太田文化プラザのミニ展示室では、「大農太田分校70周年記念~写真で振り返る70年、そして今…~」を開催しています。

太田分校は昭和23年秋田県立大曲農業高等学校定時制課程横沢分校として開校しました。その後、昭和50年に定時制課程が廃止され、全日制課程太田分校となりました。昭和50年代、太田分校の活躍は目覚ましく、昭和55年に自転車部が全県高校総体で初優勝し、以来総合5連覇の偉業を達成しています。さらに東北大会を制覇し全国大会でも5年連続優勝という栄光を残しました。昭和60年には、文化部の活躍もあり、高写連写真展で団体優勝、全国高校総合文化祭発表会に郷土芸能部と写真部が県代表として出場しています。そんな中、昭和60年11月校舎が全焼するという大事件が起きました。校舎全焼を機に太田分校の廃止がささやかれる中、当時の太田町では「太田の学校、絶対になくしてはならない」と学校再建のために仮校舎として体育館を提供し、授業で必要な備品等の助成などを行いました。町から義援金が贈られたほか、卒業生らが先頭にたち寄付を集め、町ぐるみで一日も早い太田分校の再建を願いました。そして1年後には、木の香がただよう立派な現校舎が再建され、太田地域みんなで喜びました。

写真展より 「桜咲く頃の旧校舎」

写真展より 「新校舎落成式での郷土芸能部の演舞」

 

時節柄、太田分校の野球部の活躍についてもピックアップします。
昭和49年、当時はまだ定時制課程で軟式野球部の頃ですが、全国高校定時制野球大会秋田県大会で、太田分校野球部は見事優勝を果たしました。決勝では前年度優勝の金足農校チームと対戦、延長12回で見事勝利をつかみ、軟式野球の甲子園ともいえる全国大会出場を成し遂げています。平成13年には硬式野球部が創立、平成25年には秋田県農水産高校大会で準優勝を果たしています。今年は部員不足から雄勝高校と矢島高校と3校合同チームを結成したことでも話題となりました。

写真展より 「7月 甲子園予選」

 

文化プラザのミニ展示室での写真展には、昭和30年代・40年代のスポーツや授業の様子を伝える白黒写真、現分校生の田植えや運動会、グラウンドゴルフ大会や全校民謡発表会などのカラー写真が並んでいます。太田分校の今昔が感じられる写真展です。ミニ展示室という小さなスペースでの写真展では、少しもったいない気もしますが・・・。太田分校を支えてきた地元太田の皆さんにこそ見ていただきたいと思います。

開校以来、太田分校の存在そして活動は、太田地域に活力を与えてくれています。
興奮冷めやらぬ金農ナインの活躍、地元の高校に進んだ郷土を愛する球児たちが、秋田県民の応援を一身に受け郷土から愛された夏。同じ年に70周年の節目を迎える太田分校もまた、郷土から愛される学校です。太田分校の応援にも熱を入れたいですね!

 

太田キッズ学びぃ 初のフィールドワーク

8月もお盆を過ぎ、巷の子どもたちにとっては、夏休みも残りわずかとなりました。
宿題や課題に励む傍ら、長期休みを利用して家族や友達とレジャーを楽しんだり、スポ少やクラブ活動に汗を流したり、貴重な夏を満喫していることと思います。

この夏、心に残る思い出はできましたか?

さて、少し時は遡りますが、7月25日からの3日間、太田文化プラザで「太田キッズ学びぃ」が開催され、夏休みに入ったばかりの地域の小学生が、ボランティアの先生たちの指導のもと、元気に自学自習へと取り組む姿がありました。

例年、地元小学生の自学自習の場所として開催しているこの「学びぃ」ですが、この夏は活動の場所を外にも広げ、初のフィールドワーク体験学習を実施しました。
実施したのは日程最終日となる27日(金)の午後。
参加した19人が、自分たちの住んでいる「太田地域の一番」を探して、川口渓谷にある「オブ山の大杉」に会いに行きました。

オブ山の大杉は、真木真昼県立自然公園内の川口渓谷にある、幹回り12.4m、樹高34m、樹齢1200年以上とされる巨大な天然杉です。
その幹の太さは秋田県一(東北で三位)とされ、林野庁の「森の巨人たち100選」にも選ばれており、太田地域が誇る貴重な自然資源の一つです。

今回参加する子どもたちは皆、オブ山の大杉とは初対面。
中には山に行くのが初めてという人もおり、期待に胸を膨らませながら、オブ山の大杉を目指して元気に夏の山道を進む皆さんに、私も同行してきました。

午後1時、川口渓谷遊歩道のゲート前に集合した皆さん。
ここからおよそ1時間かけて、目的地へ向かいます。
ガイドの倉田陽一さんは、午前中のまなびぃでもスタッフとして勉強を教えてくれた先生の一人です。

オリエンテーションをした後、男子の班、女子の班に分かれいよいよ出発します!

この日の天気は快晴。

午後の強い日差しの中、遊歩道を進むことおよそ15分、オブ山の大杉へと続くルートの入り口の看板が見えてきました。
看板の案内にそって遊歩道を外れ、坂を下ると、目の前に沢が表れます。

オブ山へ行くにはこの沢を越えなければなりません。

好天が続いていたことから、沢の水位は浅め。
子どもたちが沢を渡りやすいように、ガイドの倉田さんと随行の公民館スタッフが先に沢に入り、大きめの石を寄せ集めて足場を作ります。
さらに、スタッフ2名が両岸から沢にぴんと張ったロープをかけ、子どもたちの沢渡りをサポートします。

子どもたちはロープにつかまり、転ばないように足場を捉えながら、慎重に沢を渡ります。
何事もなく、無事に全員が沢を渡り終えました。

オブ山への入り口は、茂みを分け入った少し急な坂道から始まります。
これまでと違う光景に、沢渡りという関門を終えたばかりの子どもたちから、「えっ!ここを登るの!?」という声も。

そう、ここからが本番です。
大杉がある、標高450メートル地点まで、いざ出発。急な坂を四つん這いになって登ったり、大きな倒木や突き出た木の枝を飛び越えたりくぐったりしながら、くねくねとしたつづら折りの道を進んでいきます。

最初は声を上げていたみなさんでしたが、道を進むにつれ歩くのに慣れてきた様子。
通行を妨げている倒木も、怯まず乗り越えていきます。 普段あまり見ることのない山の中の光景に興味津々の子どもたち。
さあ、目的地はもう少しです。

 

登り始めてから約30分、やっと会えました。
これが、オブ山の大杉です!

取り巻く周辺の木々もなかなかの大きさですが、それをはるかに上回る幹の太さ、途中から2本に分かれた異形の幹が、他の木にはない存在感を放っています。

子どもたちは始めて見るオブ山の大杉に近づき、上を見上げたり、優しく幹にさわったり。
最後は参加した19名全員が木の周りで手をつなぎ、ぐるっと一周。
樹齢1200年の風格を体感していました。少し休憩した後、元来た道を引き返して下山します。
下りは、登りの時よりペースが速くなりがちなため、随行スタッフが列の間に入り、歩調を保ちながら進みます。

そうしてしばらく下山していると、大人の手のひらサイズもある巨大なカエルと遭遇しました!
女の子たちは声をあげ距離を置きますが、男の子たちは興味津々の様子。カエルには少し迷惑だったことでしょうが、少しだけふれあいを楽しんだ人もいました。
こうした出会いがあるのも自然界ならではの醍醐味です。

無事に下山したあとは、先ほどの沢を渡り、3時50分ころに再び遊歩道のゲート前に到着。川口渓谷を後にしました。

終わってみて、子どもたちに感想を聞いてみると
「山を登ったのは初めて。山を登る人はこんな道を通っているんだと知った。途中、急な坂や狭い道で大変だったけれど、探検みたいで楽しかった。」
「(オブ山の大杉について)話で聞いたことはあるけれど、実際に見たらおもしろい形の木だった。木の根元に大きな穴が開いていて、何か動物の棲家みたいだった。」
中には、「あんなに大きなカエル、始めて見た...」と、オブ山の大杉と出会えた感動を巨大ガエルに持って行かれた人もいるようですが、いずれにせよこれらの体験は子どもたちにとって、ひと夏の貴重な思い出となったに違いありません。

自分たちの住んでいる「太田地域の一番」を探すフィールドワーク。
大杉の大きさが一番、カエルの大きさが一番、この探検の楽しさが一番と感じた人もいたかもしれません!

参加されたみなさんは、夏しかできないこの貴重な体験を夏の武勇伝の一つにしてもらえたらと思います。