大仙市出身のシンガーソングライター・齊藤真生さん
大仙市出身のシンガーソングライター・齊藤真生さん
出身は千葉県とのことですが、何歳の時に秋田に移住したんですか?
小学校2年生の時に秋田に来ました。
協和の峰吉川小学校出身です。
小学校の時は野球しかなかったんで野球をやってたんですが、中学校ではバスケをやって、
夏季だけ陸上の駅伝もやったりとか、 スポーツ尽くしの学生生活でした。
音楽を始められたきっかけを教えていただけますか?
音楽を始めたきっかけはドラムでしたね。
学生時代はパンクバンドが流行ってて、それがきっかけで始めたんですが、ボーカルよりもギターよりも
ドラムだったんですよね。
小学校 5、 6年の時ですかね、祖父が小屋にドラム叩けるスペースを作ってくれて。
そこにずっと貯めてたお年玉で安いドラムを買いまして。
そこから熱中したのが始まりですね。
中学 2年の頃にオーディションを受けて、一応入賞みたいな形になりまして。
それきっかけで、東京の人たちとバンドをやることになったんですけど、僕は楽曲制作に関わってたわけじゃないので、]
なんかすごく自分で楽曲を作ってみたくなったんですよね。
高校入った時には、アコースティックギターを軽く弾けるようにはなってたので、それで自分で曲を作ったりして。
そういうのを経て、東京にドラムを習いに行くことになって、ミューズ音楽院という専門学校に行きました。

ソロ活動を始めるきっかけは何かあったんですか?
「SONG ORDER」っていうバンドを結構長いことやってて、その後に「UNIQUE PROJECT」っていう、
いろんな地域のプレイヤーさんたちと僕の楽曲で、独自のアレンジをしてライブをするっていう、
プレイヤー主体のプロジェクトやってまして、それを経てソロ活動という形になりました。
コロナをきっかけに今後のことを考えるようになりまして、舞台とかもやってたんですが、
そこで知り合ったプロデューサーさんが「お前に歌って欲しい」って言ってくれて。
その人が今のソロ活動の土台を作ってくれたというか。
その時期をかなり助けていただいて。
それから今年でちょうど 5年ですね。
東京には何年住んでいましたか?
そうですね、18歳から東京に行って、37歳で帰ってきたので、約20年くらいですね。
帰ってきてすぐに、大仙市誕生の20周年のFMはなび主催のイベントに出演させていただいて、ほんとに感動しました。
タイミングもすごいなと思って、運命的なものを感じました。
大仙での暮らしはどうですか?
帰ってきて丸 2年半ですかね。
最初は本当に不安だったんですけど、半年過ぎたあたりから
「僕はやっぱ地元のこの環境が好きなんだな」って気づきました。
楽曲提供とかの仕事もしてるんですけど、一人の空間を作りやすいので、もう過ごしやすくて仕方がないですよね。
食べるものも変わりましたね。自分で作りますし、体調はすごく良くなりました。
地元でライブ活動をしてみて感じることはありますか?
まずはなによりうれしかったですよ!
地元に帰ってきて一番自分が望んでいたのは、生きてきた糧をこの街のために生かしたいと思っていたので、
それを実現できたことが幸せでした。
ここに根を張っていきたいなと、心から思っています。
今年でソロ活動5周年ということですが、何か挑戦してみたいことはありますか?
全国でライブ活動をしてきた中で、県外のアーティストから「秋田に行きたい」と言ってくれることがとても多くて。
僕自身も大仙市内でライブイベントを企画することが多いんですけど、
行く行くはフェス的なこともやっていけたらなって思ってます。
そのためにも、県外のアーティストを迎え入れる環境を整えていきたいです。
音楽としての新しい自分のスタイルだったりとかも確立しつつ、
地元の方々と一緒に街を盛り上げる役目も担っていきたいです。
齊藤真生|音楽家・ミュージシャン