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秋田県大仙市公式ブログ

ふるさと太田会 設立25周年

首都圏ふるさと太田会は、平成5年11月3日に結成され、設立25周年を迎えました。
これを記念して今年の総会は、10月28日に会員がふるさとに帰り、太田町川口にある奥羽山荘で開催されました。ohtakai0 資料と私の記憶をもとに、設立当時のことを記録としてここに記しておきます。

平成3年4月1日、役場企画室内に「(仮称)首都圏太田会設立準備事務局」が設けられました。首都圏(埼玉、千葉、東京、神奈川)に住む太田町出身の方がたを把握するため、平成4年12月まで2年がかりで町内全世帯へ情報提供を依頼するとともに、同期会名簿を収集し、1,267人の首都圏在住者について情報が集まりました。
平成5年2月には首都圏太田会設立について発起人希望者22人による懇談会が横浜市で開かれ、この場において「ふるさと太田会設立発起人会」が結成されました。
平成5年5月から7月にかけて、ふるさと太田会の会員募集を行い、約600人から加入申し込みがありました。そして8月から3回の発起人会議を経て、平成5年11月3日文化の日に、台東区上野のラ・ベルオーラムを会場に会員241名参加のもと「首都圏ふるさと太田会設立総会」が開催されました。
初代会長に藤澤完二さん、副会長は小松辰美さん、佐々木年三さん、佐々木牧さんの3人、そして幹事長に小松信さんと決まり、首都圏における太田町の応援団としての活動が始まりました。
このとき太田町産ホップで作られたサッポロビール黒ラベル缶としそ羊羹、とんぶり、ハチミツなどを太田町からのお土産として参加者に贈りました。

余談ですが、当時、東京の入り口は上野駅で、最終の新幹線は17時40分でしたが、K係長とT主事と私は総会後の片付け等で最終新幹線に間に合わず、21時過ぎの夜行寝台車で秋田に帰って来ました。新幹線は角館駅から乗り(車は角館駅前に置いていた)、寝台車は大曲駅着だったため、翌朝6時半ころ大曲駅に着いて田沢湖線に乗り換えて角館駅まで行き、帰宅せずにそのまま役場に出勤したことを覚えています。
また、寝台車に乗る前に夕食を兼ねて立ち寄った居酒屋で、若い女性グループが美味しそうに食べているデザートを見て同じものを注文し、初めての食感と何とも言えない美味しさに感動しました。メニューを見たら「ナタデココ」とあり、その後秋田でナタデココに巡り合ったのは半年後でした。
現在、東京の入り口は東京駅となり、夜行寝台車は廃止され、太田町特産だったホップととんぶりの生産は無くなりました。また、しそ羊羹の製造小売店であった「みつや菓子店」と「柏谷菓子店」の2店とも廃業してしまい、今は味わうことができません。ふるさと太田会総会の際、東京に出張した議員や職員の宿泊場所は、上野にあった秋田県市町村東京会館(ここの藤澤支配人は太田町出身の方でした)でしたが、この東京会館も無くなりました。
設立総会は役場が主導して開催し、総会懇親会の決算書を作成して参加者に懇親会のおひらき時に配るため、役場からワープロを持参して行ったことも懐かしく思い出されます。
髙貝久遠元太田町長は当時、太田町農協の組合長でした。農協加工部会のお母さんたちが、出来たてのおやきをふるさと会のみなさんに配りたいと総会当日の早朝からおやきを作り、それを朝一の新幹線で東京に向かった髙貝農協組合長に託し、総会会場に届けていただきました。ずっしりと重いおやきが入った手提げ袋を両方の手に持ち、「手がもげ(ちぎれ)そうだった」と髙貝組合長から苦情を言われたことも、今では語り草となっています。

四半世紀の移り変わりを感じています。

また平成5年は、夏場の低温、多雨による大冷害の年で、11月に入ってもこうべを垂れることなく、穂が熟しきれずにちょきっと直立した稲が太田町内のあちこちに残っていたことを鮮明に記憶しています。この年の10月には、当時の畑英次郎農林水産大臣が太田町を訪れ、穂いもち病と障害不稔のために壊滅状態の水田を視察し「100年に一度という大凶作を実感した」と話しています。
平成5年から翌年にかけてはたいへんな米不足で、緊急輸入された中国やタイなどの外米を食べた方も多いと思います。
ふるさと太田会のみなさんも、実家からいつもより多く米を送ってもらうなど日本の米を入手するために難儀した方がおられたのではないでしょうか。

余談が長くなりましたが、あれから25年。
少し会員が減少しましたが、結成当時のままの勢いが続いている「ふるさと太田会」は、20周年、25周年と節目の総会はふるさとに帰って総会を開催しています。
ふるさと太田会のみなさんのふるさと太田を想うあたたかい気持ちと、会員相互の強い結びつきには、深く敬意を表します。

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さて、今年の総会には、37名の会員と来賓、秋田おばこ農協や商工会等の関係機関、自治組織、ふるさと太田会を応援する会のみなさんなど合わせて約130名が出席し開催されました。
これまで20年近くにわたり2代目会長をつとめてくださった小松信さん(埼玉県)にかわり男鹿敏昭さん(埼玉県)が3代目会長に就任され「何十年たっても生まれ育ったふるさとを忘れることはない。太田地域の人たちとのつながり、太田の自然、文化とのつながりを大事にしてきた2人の会長さんたちの心を引継ぎ、太田の応援団として頑張っていきたい」と力強いあいさつがありました。ohtakai6 ohtakai8
総会終了後の懇親会は、藤本久さん(埼玉県)と佐々木牧さん(東京都)の名司会により進められました。
乾杯の音頭に立った渋江研太田中学校長から「太田中学校の生徒は現在150名、文武両道をめざし一生懸命頑張っている。きょう、マーチングフェスティバル東北大会に出場していた太田中学校吹奏楽部が、12月16日に埼玉スーパーアリーナで開催される全国大会に出場が決まったという連絡が入った。ふるさと太田会のみなさんの応援をお願いしたい」と嬉しい報告があり、うたげに華がそえられました。ohtakai4 ohtakai3
余興は応援する会の鷹觜由紀さんの歌から始まり、国見ささらの演舞、わらび座の高田鵬さん、綾さん夫妻によるミニ公演、太田町民謡同好会による民謡三昧と歓迎の余興が続き、太田会幹事団によるかくし芸で盛り上がりは最高頂に。
最後は全員で秋田県民歌を歌い、髙貝久遠元太田町長と煤賀太田支所長による中締めでおひらきとなりました。ohtakai2

ohtakai10初代幹事長、そして2代目会長を長年にわたりつとめていただいた小松信前会長は、療養中で今回の総会には出席がかないませんでしたが、小松前会長あっての「ふるさと太田会」です。小松前会長の幹事長時代からの細やかな気配りや目配りで、ふるさと太田会をこれまで盛り上げてきていただきました。
小松前会長のご快復と、ふるさと太田会のさらなるご発展を願っております。

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