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太田分校生徒会が受賞 「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業 表彰

仙北地域振興局の「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業 表彰式が今年も行われました。この事業は、平成19年度から実施されており、これまで65団体と3個人が表彰されています。その名のとおり「元気なふるさと秋田」を創るべく、自立的・主体的な活動を行っている団体・個人を表彰するもので、表彰を通して地域づくり活動の活性化を図ること、そして多くの県民への普及・啓発を図ることを目的に行われています。

今年度の「元気なふるさと秋田づくり」顕彰事業表彰式は、2月19日(水)に仙北地域振興局で行われました。今回は3団体が表彰を受け、そのうち太田地域からは、大曲農業高等学校太田分校生徒会が受賞されました。

太田地域の地域づくり活動の中でも、太田分校の活動は重要な軸の一つと言えます。
太田分校は「地域とともに歩む太田分校」をスローガンとしています。まさにそのスローガンどおりに、農業を通じた活動、伝統芸能の継承普及活動、スポーツを通じた活動などで、地域交流活動を展開しています。
中でも、今回の表彰では、毎年行われているグラウンド・ゴルフ大会の開催が評価されました。これは、生徒会が主体となり企画・運営している大会で、今年度で19回目の開催となります。地域の方と分校生とが混合でグループをつくり、一緒にホールを回りプレーをしながら交流をはかるというもので、地域交流・世代間交流を目的としています。プレーだけでなく、交流アトラクションで郷土芸能部が演舞を披露したり、一緒に◯Xクイズを楽しんだりと、毎年趣向を凝らしたおもてなしをしています。

また、太田支所・中里温泉レストランと連携して取り組んでいる太田分校レストランの取り組みも評価されました。こちらは太田地域の食と農の魅力を発信する取り組みです。メニューには分校生のアイデアが取り入れられ、当日は接客や調理補助を担当しています。テーブル小物やメニューのしおりを手作りしており、細やかなおもてなし精神が来場者の好評を得ています。大仙市外からの来場者も多く、広く太田地域をアピールしてくださっています。

表彰式で、浅利蓮生徒会長は「地域の皆さんのおかげで充実した活動ができている。先輩たちが地域の皆さんとつくりあげてきたどこにも負けない自慢の活動と言える。この学校でなければ、地元の良さに気づかないこともあったと思う。後輩には地域の皆さんとともに、これからも地域の魅力を発信する活動を続けて欲しい」と挨拶しました。

地域の高校生が、地域のために動くその姿は、地域住民に元気を与え、まさに「元気なふるさと」を創る存在となっています。
太田分校の皆さん、受賞おめでとうございます。「地域とともに歩む」姿勢から、太田支所では同じ思いを持つ同志のように感じており、今回の受賞はとても誇らしいです。そして、高校生という若い皆さんが、この地域を大事にしてくれている気持ちには、大きな大きな感謝があります。先輩から後輩へ「どこにも負けない自慢の活動」を受け継いでいってほしいと思います。
これからもどうぞよろしくおねがいしますね。この度は、本当におめでとうございました。

太田東小6年かんじき体験

2月21日(金)大台スキー場で太田東小学校6年生の皆さんがかんじき体験を行いました。

教えていただくのは種まきや稲刈りなどでも講師をしてくださっている高橋静良さんです。高橋さんは「雪不足でスキーなどの雪遊びがあまりできなかった子供たちにかんじき体験を通して雪で遊ばせてあげたい」との想いで太田東小学校へかんじき体験を提案したそうです。

高橋さん手作りのかんじき

かんじきを手作りしてくださった高橋さん。

なんと6年生全員分を準備してくれていました!

昔から太田地域では、大きく曲げる必要がある輪の部分に「じさき」と呼ばれる木が使われており、

高橋さんは「じさき」は腰の曲がったおじいさんのような木からきている呼び名ではないかと話してくれました。

「じさき」は若木でなければ、硬く折れやすいため、若木でちょうど良い太さのものを探すのが大変だった。寒い時期は皮をむくのが難しいため、お湯でふやかしてむいている。と高橋さん。

継ぎ目の部分は植物のツルを使うのが昔ながらの手法ですが、今回は針金を使用しています。

また、でっぱりとなっている部分は「ツメ」と呼ばれ、滑り止めの役割があります。ツメにはカエデやケヤキなど硬い木が使われますが、今回は桜の木が使用されていました。

「はじめにつま先をかんじきのヒモの間に通してからカカトを合わせて、残りのヒモでカカトを固定する。こうすればなにをやっても外れなくなる」と高橋さんがかんじきの履き方を説明。

早速実践してみる皆さんですが、なかなか履けずに四苦八苦。

高橋さんも「最近の子どもは足も大きいね~」とかんじきに生徒の足が納まらずに想定外のご様子。

どうにかかんじきを履き終えた皆さん。

「道路は逆に歩きにくいね」

「最初は違和感があるけど慣れると長靴より歩きやすいよ〜」と言いながら、

スキー場の中腹まであっという間に駆け上っていきました。 元気いっぱいに走り回っていたため、暑くなり上着を脱いでいる人もちらほら。

そして最後にはかんじきよりも雪だるま作りに夢中に。。。

やっぱり今シーズンは雪がなくて物足りなかったのでしょうか。より大きな雪だるまを作ろうと大盛り上がりでした。

「子ども達が喜んでくれているのがなにより嬉しいです」と高橋さん。

高橋さんより「みんなはもうすぐ卒業ですね。風邪を引かないようにして、卒業式を迎えてください。」と温かい挨拶がありお開きに。

今年は雪が少なく過ごしやすいなと思っていた私ですが、皆さんが遊ぶ姿に元気をもらうとともに、やはり雪は太田にとっての大切な資源であると感じさせていただきました。

来シーズンは適度に雪に降ってもらいたいな〜と思えるかんじき体験でした。

高橋さん、東小のみなさん、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

横沢東集落 つなぐ伝統行事

2月15日(土)、横沢東集落会による「天筆焼き」が行われました。
昔は太田地域内の各集落で行われていた小正月行事の「天筆焼き」も、今では珍しいものとなりました。「天筆焼き」はカマクラと呼ばれる稲わらの塔に火をつけ、燃え盛る火で願いごとを記した五色の短冊(天筆)を焚きあげ、それぞれの願いが成就をすることを祈るものです。
「天筆焼き」を各集落で続けていくには、カマクラを造る技術の伝承も必要ですし、材料となる稲わらの確保も必要です。「天筆焼き」を知っている人材がいて、さらにそれを伝えようとする情熱もなければ継承はなかなか困難です。
横沢東集落会では、30年以上途絶えていたこの天筆焼きを昨年復活させました。復活を後押ししたのは、「地域の伝統行事を子ども達に伝えたい。今こそ伝えなければいけない」という強い想いでした。
この横沢東集落の近辺はもともと未開の地であり、終戦後に入植者が拓いた地域です。今、集落会を支えているのは開拓2世にあたる方々が多く、苦労した親たちの姿をみて育ち、自らも苦労を重ねた皆さんです。次に伝えたいという気持ちが強いのも納得です。また、数年後には圃場整備によって、この開拓の地も風景が大きく変わることもあり、子ども達に何か残したいという想いもありました。
そんな想いから復活させ、2年目となる今年、「去年やったば、あまりにおもしろくてよぉ」とお父さんたちが口を揃えます。少年のように、朝から嬉々として雪運びやら会場設営やらに精を出します。メンバーには、農家さんはもちろんですが、大工さん、機械のオペレーターさんなど役者がそろい、チームワークもバッチリです。

稲わらは、農家さんが刈取り時に各自とっておくそうです。今日のこの日のために、秋から準備が始まっていることを知りました。

お母さんたちは、集落会館でおにぎりとあたたかいお味噌汁を手作りして、振る舞います。

子ども達は、ミニかまくらづくりやもちつきなど大人と一緒に体験、明るい歓声を響かせます。

 

ついたお餅でおしるこが振る舞われ、みんなで食べるのもまた楽しい。

まさに集落会のみんなが一つになって、楽しんでいることが感じられます。

 

メインの天筆焼きは17:30から神事が執り行われた後、17:45頃に始まりました。
日が傾き始めた時間で、神聖な雰囲気がなおさら際立ちます。

稲わらの塔に火をつけるのは、子ども達が行いました。

火が安定して子どもが近づいても大丈夫になると、天筆を焚きあげます。

天筆の願いごとを聞いてみると、子ども達は「マラソンで1位になれるように」「野球でエラーをしないように」「ヒットをたくさん打てるように」「野球とスイミングで活躍できるように」「勉強で100点をとれるように」など具体的で様々です。大人の方にも聞いてみましたが、「内緒」だそうです(笑)
皆が楽しい気持ちで見守る中、火の粉をまとい天に向かう天筆をみると、神様も楽しくなって全ての願いを成就してくれる気がします。内緒のお願いもきっと叶うのでは・・・(笑)

最後は、大人も子どもも交じって、福分けが行われます。軽トラックの荷台からリズミカルに撒かれるみかんやお菓子を拾います。サービスが良くてたくさん撒かれるので、準備がいい方はビニール袋持参です(笑)

集落の子どもから大人まで心を一つにして取り組む事業は、優しくて楽しいとつくづく感じます。楽しそうな大人の姿を見ると、子ども達もきっと楽しいはず。今回の天筆焼きを通じて、横沢東集落会のチーム力を感じました。
伝統行事は、参加することで行事の意味を知り中身を知り、先人の想いを知り、次につながるのだと感じます。とてもいい行事を見せてもらいました、横沢東集落の皆さん、取材協力ありがとうございました。今後もつながり、受け継がれる行事となっていくことを願っています。

太田の紙ふうせん海を渡る part3

雪国の2月は、小正月行事が盛りだくさんです。

大仙市も太田の火まつり、仙北地域の払田柵の冬まつり、西仙北地域の刈和野の大綱引き、大曲地域の川を渡るぼんでんや大曲の綱引き、鳥子舞、そして中仙地域鶯野の火振りかまくら等々、みんな違ってみんないい小正月行事が大仙市の冬を彩っています。

遠く台湾でも、春節(旧暦の正月)から数えて15日目にあたる夜(旧暦1月15日の夜)を中心に、前後数日間、家々の軒先や街角に燈籠(ランタン)を飾り、新年最初の満月を祝う「元宵節(げんしょうせつ)」というお祭りが各地で開かれています。
この元宵節というお祭りは、高さ1メートルほどの紙ふうせん数百個を一気にあげる天燈上げ(ランタン飛ばし)と、その年の干支をモチーフにした巨大で立体的なランタンを会場に飾るランタンフェスティバルの大きく2種類があるようです。
2015年(平成27年)には、長年交流が続いている大曲青年会議所と台湾新北市中和区の中和國際青年商會の縁で、太田の火まつりの紙ふうせんが初めて海を渡り、平渓天燈祭(ピンシーてんとうさい)で異国の空にあがりました。その後、2017年にも紙ふうせんが海を渡っています。
2015.3.10のブログ⇒太田の紙ふうせん海を渡る
2017.2.16のブログ⇒太田の火まつり coming soon part4 ~太田の紙風船海を渡る~

今年は、台湾新北市元宵節燈会(しんぺいし げんしょうせつとうかい=新北元宵ランタンフェスティバル)に、太田の火まつりの紙ふうせんが展示されることになりました。
西山光博副市長を団長に、太田の火まつり実行委員会の鷹觜信行実行委員長など5人が2月7日の夜の開幕点灯式に出席してきました。

最初に太田の紙ふうせんの展示に尽力してくださった新北市樹林区公所(新北市の樹林支所、人口18万人余り)を訪問。職員のみなさんから熱烈な歓迎を受けました。

陳奇正樹林区長から、樹林区の概要などの説明を受けた後、2020新北市樹林之美新春嘉年華燈會(2020年樹林の美新春カーニバルランタンフェスティバル)会場へ。ここでは小、中学生が絵を描いたランタンを飾り、クリスマスから正月、春節そして元宵節までを祝い、展示されたランタンの中から優秀な作品が選ばれるそうです。

そして新北市元宵節燈会へ。午後6時30分から会場に設けられた水岸ステージで台湾の少数民族が演舞を披露し、7時に侯友宜新北市長の合図のもと点灯式が行われ、今年のテーマである「子年(ねどし)と水岸風情」をモチーフにした数多くの立体的なランタンに明かりが灯りました。

 

 

 

会場には国際交流ランタンエリアが設けられており、青森ねぶたと太田の紙ふうせんが隣り合って展示されていました。立体的で色鮮やかでエネルギッシュな青森ねぶたと、シンプルな円筒型で余白の美を活かした太田の紙ふうせんとは対照的でしたが、周りがきらびやかな分、太田の紙ふうせんが際立って美しく見えました。

青森ねぶたの関係者として開幕点灯式に出席していた青森市役所と青森観光コンベンション協会の方がたによれば「こんな紙ふうせんは初めて見た。とってもきれいですね。青森県ではこのような紙ふうせんをあげるという風習は聞いたことがない」とのこと。

 

 

台湾の首都台北市を囲むように位置する新北市は人口約400万人、新北市元宵節燈会には2月7日から3月1日までの期間中、台湾のみならず世界から約300万人が訪れるそうです。

 

太田の火まつりは、太田町公民館が「郷土を愛する心が文化を育み豊かな地域づくりにつながる。うすれゆく地域の小正月行事を伝承していこう」と町民に呼びかけ、昭和57年2月20日(土曜日)に、太田町公民館と太田町連合青年会が主体となり、大台スキー場入口付近の田んぼを会場として借りて、「ふるさと火祭り」を開催したのが始まりで、第3回目の昭和59年から「太田の火まつり」に名前を変え、今年2月1日に39回目の太田の火まつりを終えました。
実は私は、第1回目の「ふるさと火祭り」からかかわっています。当時は、地元の青年会の一員として、公民館事務所が入っていた生活改善センターの集会室に毎晩のように集まり、お年寄りの指導を受けて、紙質や大きさなどを試行錯誤しながら青年会の仲間とともに紙ふうせんを作っていました。始まりのころは、五穀豊穣や家内安全などの願いや協賛事業所名などを書いた紙ふうせんでした。紙ふうせんに太い筆で文字を書くのが私の役割でもありました。紙ふうせんに絵を描くようになったのは、少し後からのことです。

また、このころは西木村の老人クラブの方がたが、紙ふうせんの作り方を太田へ習いにも来ていました。
5年前に太田地域の80歳代のお年寄りの方がたから聞いた話によれば、昔は習字の書き損じた紙や新聞紙などで作った簡素な紙ふうせんを、稲わらを燃やした煙でふうせんをふくらませ、願いを込めて夜空に解き放ったそうです。太田地域で紙ふうせんあげが、いつの時代から行われていたかは定かではありませんが、お年寄りの話などからすると、少なくとも100年以上前にはすでに紙ふうせんあげが行われていたと思われます。

こうして長い年月の間に、簡素な紙ふうせんから美しい紙ふうせんに、稲わらの煙からガスバーナーの熱風に変化していますが、地福円満や五穀豊穣、無病息災、そして子どもたちの健やかな成長を願って行われる行事を通して、今を生きる私たちは先人の思いを知ることができます。人々の願いは、今も昔も変わりありません。そして台湾も同じでした。

東北3大まつりの一つで、日本を代表する夏のイベントでもある「青森ねぶた」と同格の扱いで太田の紙ふうせんが展示され、長年、太田の火まつりにかかわってきた私は、とても誇らしく、感無量の思いでした。

これまで私は、紙ふうせんは空にあげるものだと思ってきました。紙ふうせんを展示することは一度も念頭にしたことがありません。また、太田の火まつりの際は、紙ふうせんがふくらむと空に放つため、紙ふうせんの美しい絵は一瞬しか見ることができませんでした。
こうして台湾で展示された太田の紙ふうせんを見て、古くから伝わる行事の伝承は、目的を見失うことなく、時代の変化に合わせて少しずつ変化させ、魅せる(見せる)工夫も必要だと感じました。

太田の火まつりは、来年40回目の節目を迎えます。
火まつりの始まりのころは、紙ふうせんが海を渡るなど誰も思っていませんでした。
来年も太田の紙ふうせんを台湾で展示したいと樹林区長からお話しがありました。
台湾と大仙市の縁をとりもってくださった新北市の陳奇正樹林区長に深く感謝するとともに、太田の紙ふうせんが結ぶ台湾との縁が、人と人との交流、やがては物流を生み、経済交流につながることを願います。

第39回太田の火まつり

2月1日(土)、奥羽山荘西側広場において「第39回太田の火まつり」が開催されました。まさに雪不足に悩まされながらの開催でしたが、実行委員会の強い意志のもと、規模を縮小することなく無事に予定通り実施することができました。
太田の火まつり実行委員会も、今年も無事に開催できたことに安堵と達成感を感じています。

実行委員の皆さんは、前年の11月から会議を重ね、資金繰りや当日の運営方法などについて準備作業を進めてきました。
一方で、開催間近の1月中旬になっても雪は一向に積もる気配がなく、まつり内で行われる小正月行事への影響が心配されましたが、実行委員会では「雪が無ければ無いなりに、規模を縮小せず実施する」として、予定通り開催するという判断が下されました。

前回のブログで紹介していますが、開催に向けて、実行委員と支所職員とが協働で、太田地域内の排雪場や公共施設の軒下などに残っている雪をかき集め会場づくりを行いました。

火まつりへの決意

どうしても雪が必要なのが、天筆焼きで使われるカマクラと呼ばれる塔の土台部分、そして、雪中田植えのほ場となる部分でした。
開催4日前、かろうじて会場に必要な雪は用意したものの、その後の天気は、気温が高いうえに雨まで降る始末。せっかく集めた雪が消えてしまわないようにビニールシートをかけたり、固く固めたりと、最後まで気の抜けない、集めた雪を守るための作業が行われました。

そして迎えた当日。
会場には集めた部分以外には全く雪が無く、地表がむき出しになっているという状態でしたが、天筆焼き用のカマクラの塔はしっかりとそびえ、雪中田植えのほ場も何とか持ちこたえているのを確認し、まずは一安心。

 


このような中開催された、太田の火まつりの様子をご紹介します。

午後5時、開場に合わせて、本部前では大仙市商工会婦人部による甘酒が振る舞われました。
温かい甘酒を飲んで温まろうと、早くから集まったお客さんが列を作りました。

小正月行事に先立ち、関係者出席のもと、ふれあい交流館では神事がとり行われました。
周りには静かに神事を見守る観客の皆さんの姿がありました。
厳かな神事の後は、関係者の皆さんによる福分けがあり、神事でお供えしたお菓子が会場にいる子どもたちに配られました。

 

JA加工部による餅振る舞いでは、温かいつきたてのお餅が振る舞われました。
ふれあい交流館で行われた餅つきも、観客の皆さんには大好評。
長身で金髪のひときわ目を引く美人さんも餅つきを体験され、国際色豊かな餅つきとなりました。

午後6時には、鷹觜実行委員長より開会のあいさつがあった後、第一回目の紙風船上げが行われました。
紙風船は普段、ガスバーナーで温めた空気を送り膨らませた後、火種を付けて上げますが、今年は降雪が無いことから、着地した際に延焼する危険を回避する目的で、火玉をつけず紙風船内にためた暖気だけで上げることとしました。
空は晴れ、風もなく、紙風船上げには絶好のコンディション。
例年より気温は高いことから、温度差でちゃんと上がってくれるか不安な面もありましたが、無事成功!
地元の保育園、幼稚園の皆さんが作った紙風船が空高く舞い上がりました。

田の尻集落の皆さんによる、「雪中田植え」の様子です。
雪中田植えは、「たっこたっこ」または「正月田」とも呼ばれ、水田に見立てた雪上に束ねた稲わらと大豆の殻を植えるようにして立て、その年の作占いと豊作祈願をするものです。
新雪を使う例年とは違い、雪を持ってきて作った固雪の田んぼでしたが、田の尻集落の皆さんのアイデアで、先に雪に穴を空けておくことで固い雪へも稲わらを植えられるよう工夫が凝らされていました。

田の尻集落の水谷さんは「せっかく準備してもらった雪。集落の中で固い雪でも植えられるように考えた。」と話してくださいました。

東今泉集落の皆さんからは迫力の太鼓演奏が披露されました。
この「東今泉八幡太鼓の寄せ太鼓」は、東今泉集落に伝わる「東今泉神楽」をもとに再興したもので、集落の幅広い世代で顕彰しながら長年にわたりその技術が受け継がれています。迫力ある演奏とパフォーマンスで集まった観客を魅了していました。

 

そして、本日2回目の紙風船上げが始まりました。
今回、地域、小中学校、大農太田分校、各種団体などで作られた紙風船は38個。
空は依然として穏やかで、大勢の観客に見守られながら、紙風船が一つ、また一つと夜空に放たれていきました。

 

小正月行事を締めくくるのは迫力満点の「天筆焼き」です。
藁で作られた約8メートルのカマクラと呼ばれる塔に火をつけ、その燃え上がる炎に願い事が書かれた5色の天筆をかざし、炊きあげることで願い事の成就を祈るものです。 
このカマクラは、火まつり世話人の武藤定志さんと有志の皆さんの手によって毎年作られています。武藤さんによると、今回は周りに雪が無い事を考慮して、あまり燃えすぎないようにカマクラに使う藁の分量などを調整してくれたのだとか。長年の経験がなせる業です。
また、天筆に願い事を書いてくれたのは、太田地域の小中学生の皆さんです。
地元の消防団員の皆さんが厳重に警戒線を敷く中、燃え盛るカマクラの炎が、天筆に書かれた子どもたちの願いを天高く炊き上げていました。

 

そして、天筆の残り火と冬花火が、イベントのフィナーレを彩りました。

 

こうして大盛況のうちに幕を下ろした39回目の太田の火まつり。
例年にない雪不足は、地域の小正月行事がいかに雪と密接であったかを我々に再確認させるとともに、「雪が無ければ無いなりにやる」という関係者の努力と工夫が試された貴重な一回であったように思います。

来年の太田の火まつりは、いよいよ第40回の大きな節目を迎えることとなります。
雪の無い今年をやりきった達成感と自信から、たとえ雨でも、雪が無くとも「やれる!」...とは思いつつ、やはり適度な雪があればなお良いですね。
来年は適度な雪が積もっていてくれることを願いつつ、無事に開催されることを祈っています。

いちごの花

ハート型のミニトマト「恋ベリー」で有名な株式会社秋田農販にいちごの花が咲いているピークだよと声をかけていただき、取材にいってきました。

 

ビニールハウスでは、高設栽培方式で「えちご姫」と「やよいひめ」が栽培されています。冬期間の暖房には地球にやさしいもみがらボイラーを活用しています。

はちの仕事

品種によっていちごの大きさやみずみずしさ、甘み、程よい酸味など特徴があります。
いちご狩り(予約制)は3~6月下旬まで楽しむことができ、生育状況によって、2種類の食べ比べが可能です。

また、秋田県内のグランマートタカヤナギ各店、道の駅協和「四季の森」などでも販売されます。

南外地域の旬を、お楽しみいただけます!

株式会社秋田農販
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