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秋田県大仙市公式ブログ

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大仙市アーカイブズで企画展「これぞ大仙!!~人・モノ・文化~」を開催しています!

大仙市は今年で誕生15周年を迎えました。

この節目の時期に、大仙市アーカイブズでは、地域の歴史を振り返り、人や文化を見つめ直す企画展を開催しておりますので、紹介します。


企画展では、これまでの市内各地域で継承されてきた文化や出来事等の資料を展示しています。


大曲、神岡、西仙北、協和、南外、仙北、中仙、太田の地域別にテーマが設定されており、地域の発展や文化の継承等に貢献した偉人の紹介や、国宝(レプリカ)や指定文化財等が展示されていますので、歴史に触れることができ、市の重要な文化財を見ることができます。

半鐘(市指定有形文化財 協和地域)

明治期、荒川鉱山(協和地域)の経営者が、鉱山関係の搬入搬出に利用した小港がある当時の峰吉川村に良好な関係を築こうとして寄贈したものです。文化財に指定されたのは、戦時中「金属類回収令」により、ほとんどの半鐘や梵鐘が供出され、現存のものが少ないなかで残っており、貴重であるため。

 

野球任命状(明治36年・神岡地域)

神宮寺小学校では、教員の富樫武治の発案で生徒達に野球任命状が手渡されました。
野球は、明治時代に学校教育の一環として広まっていったようです。当時は、学業やスポーツよりも家業が優先される時代で、選手達は家の手伝いもしながら、野球に打ち込んでいたそうです。

 

西仙北地域では、「強首陸軍演習場」の歴史を紹介しています。
明治期、強首上野台地区には陸軍の戦闘射撃演習地があり、歩兵部隊の戦闘訓練や射撃訓練が行われていました。長らく使われてきた演習場でしたが、戦後は農地への開拓事業により演習場跡地への入植が行わましたが、土壌の関係等で稲作畑作から酪農へ転換する農家も多くいたそうです。当時の様子がわかる資料が展示されていました。

 

企画展を開催しているアーカイブズは、空き校舎となっていた旧双葉小学校を改修し、平成29年に開館しました。歴史資料として重要な公文書や、その他の記録を保存し、地域の皆様に利用していただくことを目的として、明治時代から現代までに作成された公文書(行政文書)や、地域の歴史と文化を伝える地域史料(古文書等)を保存公開しています。また、文字資料だけでは伝わらない、市内の歴史を伝える画像、映像、音声資料を保存公開しています。

資料の閲覧や展示の見学等、どなたでもご利用いただけますので、是非ご来館ください。

企画展は、12月25日(金)まで開催されております。

☆開館時間☆9時00分から17時00分(入館無料)
☆休館日☆日曜日、月曜日及び国民の祝日、年末年始、特別整理期間

大沢郷地域おこし組合防災に関する勉強会を開催しました!

11月12日(木)、大沢郷地区公民館にて、大沢郷地域おこし組合主催の防災に関する勉強会が開催されました。

現在、大沢郷地区では、大沢郷地域おこし組合が主体となり、湧水「雄清水・雌清水」を活用したワサビやレンコンの栽培を実施し、地域活性化を図る事業を展開しています。また、「安全安心な地域づくり」として、地域の見守り隊活動の強化や、あいさつ運動を実施しており、地域の防災意識の高揚、自主防災組織活動の活性化、災害時の不安縮小を目指しています。

第1部では、近年の異常気象による大雨・豪雨災害が全国的に問題となっているなか、大雨・豪雨災害に関連する土砂災害から被害を少なくするためには、日頃からどのような準備が必要なのか、いざというときの行動はどうすればいいのかについて、市の防災管理監による講話が行われました。

いざというとき、「自助」「共助」「公助」の精神、身の回りのリスクの確認、普段からの備え、早め早めの行動の重要さについて、身近な事例を踏まえながら、わかりやすい説明をしていただきました。

第2部では、西仙北消防分署職員からの実演を交えた救命講習が行われました。
災害時、身近な人が負傷して動けなくなったとき、身の回りのモノを使って簡易担架をつくる方法を教えていただきました。


棒2本に毛布1枚を巻き付けて、簡単に簡易担架がつくれました。

 

 参加された地域の皆さんも実際に、つくってみました。

細い棒等、支えるのに不安定なものは、途中で負傷者を落としてしまう危険性があるため、頑丈な棒を使用したほうがよいとのことです。

棒2本と毛布1枚でつくられた簡易担架。

いざという時、なかなか頑丈な棒が2本もない・・という時は、毛布の両端を丸めるだけでも、人を乗せて移動することが可能で、簡易担架代わりになるようです。

腕を折った時、動かせないときは、新聞紙を当て木にし、手ぬぐいや三角巾等を使って、腕を固定する方法を教わりました。

 ↑地域の皆さんも実演中。

昨年の防災に関する勉強会は、地震に関する講話や、AEDの使い方、水消火器を使った消火訓練が行われました。今年は、土砂災害についての講話、実演を踏まえた救命講習を受け、日頃からの身の回りのリスク確認、いざという時のための心構え等、防災に対する意識の醸成につながったと思います。

県民歌制定90周年記念 太田地域文化講演会

10月30日、太田中学校を会場に太田地域文化講演会が開催されました。
この講演会は、太田地域自治組織連絡協議会の主催で毎年開催されています。太田地域にゆかりのある方を講師に迎え、ふるさと太田の良さを再認識するとともに、地域住民の教養と文化意識の高揚を目的としています。
今年の講演会は、秋田県民歌制定90周年記念として開催されました。太田では、県民歌と言えば、県民歌の作詞者・倉田政嗣の出身地という誇りを持っています。県民歌を地域全体で大事に歌い継ぎ、地域活性の要素の一つと捉えています。今回の講演会も、県民歌を地域の宝として再認識してもらう機会として企画されました。
講師は、太田出身のわらび座俳優・鈴木裕樹さんが務めました。裕樹さんは、2015年にロングラン公演となったミュージカル「為三さん!」で県民歌の作曲者・成田為三役を演じています。まさに、太田と県民歌をつなぐ方が、講演をしてくださいました。

開会にあたり、太田地域自治組織連絡協議会の長澤会長は「太田では秋田県民歌に対する想いを綴った手記集を発行しているほか、式典や研修などの際は秋田県民歌を歌っている。太田出身の倉田政嗣が作詞したことがご縁となり、太田では秋田県民歌は広く浸透している。今回は秋田県民歌つながりで、わらび座俳優の鈴木裕樹さんに講師をお願いした。わらび座での心境の変化や思い入れ・心情を語っていただきたい」と挨拶されました。

 

裕樹さんは「私と秋田。太田産の俳優として舞台に立つ。」と題して講演し、太田中学校の生徒や地域住民が合わせて約200人参加しました。会場の太田中学校は裕樹さんの母校です。母校での講演ということに加え、参加された方の中には裕樹さんの恩師やご両親までいらっしゃり、舞台とは違い緊張感漂う表情の裕樹さんでしたが、ご自身のことやわらび座俳優としてのエピソードなど、包み隠さずわかりやすい言葉で講演をしてくださいました。

講演の冒頭では、講師を引き受けるきっかけとなった成田為三のエピソードをお話ししてくださいました。為三はマザコンだったことや、学校のトイレを使わず家まで帰っていたことなど、裕樹さんは為三のプライベートなことまで調べていたようです。秋田県民歌が作られた経緯についても、為三は音楽は純粋なもので依頼を受けて曲を作ることはしたくないと考えていたが、応募のあった歌詞をみて秋田の情景がよみがえり、この歌詞なら作曲したいと思ったのではないか、作曲後に秋田師範学校の同期生である倉田政嗣の歌詞だと知ったらしいことをお話ししてくださいました。演じるということは、人物の人となりや歴史を知ることも含んでいること、役への思い入れを深く感じました。政嗣は39歳で亡くなっていますが、政嗣がもっと長生きしていたら、政嗣と為三のペアで作詞・作曲された歌がもっと生まれていたのではないかと考察されていました。没年は違うものの、政嗣の命日は10月16日、為三の命日は10月29日、そして県民歌は10月30日に制定されており、10月のこの講演会で県民歌の歌声を響かせることは、2人にも喜んでもらえるのではないかとお話しされました。
わらび座に入団した経緯についても、包み隠さず語ってくれました。学校の先生になることを目指し大学に進学したが、1人暮らしを始めたことにより、お酒やバイトそしてマージャンなど魔の手がたくさんあり学校に行かなくなってしまったそうです。先生になりたい気持ちが薄れてきて、自分がどんな人間なのかわかった気がしたといいます。楽しい方に流されやすい性格を自覚し、大学をやめることを決心しました。自分が楽しいと思うことなら仕事として続けていけるのではないかと思い、小さい時から人前に立つことが好きだったこともあり、目立ちたい・モテたいという気持ちを抑えずに俳優の道に進むことを選んだそうです。わらび座入団後には、新しいこと・知らないことに挑戦して、困難に向き合うことで、とても充実していたといいます。毎日楽しいことだけではないが、つらいことも含めて本当の充実を感じた、皆さんもつらくても向かっていけるようなことを見つけられると素晴らしいことだと語ってくださいました。
裕樹さんは、わらび座の舞台に立つことで「恩送り」をしているそうです。恩送りとは、恩返しと違い、受けたご恩をいろんな人に回していくことで、今目の前にいる人に誠実に向き合っていくことだそうです。今日のこの講演も恩送りの一つではないかと思っていると語ってくださいました。
講演の中では、わらび座のミュージカル中の曲を2曲披露してくださり、伸びやかで気持ちのこもった歌声に会場中が惹きこまれました。

講演の最後には、質問タイムがあり、様々な質問がありました。
Q.ふるさとの風景で、好きな風景はありますか?
A.大台山からみる風景ですね。水がはられた田んぼの風景が好きです。

Q.舞台で大切にしていることは何ですか?
A.誠実にステージに立つことです。

Q.役作りで気を付けていることはありますか?
A.私生活の過ごし方でも、役のイメージと違うような過ごし方をしないようにしています。

来賓として参加していた吉川教育長からも質問がありました。
Q.中学生に一番伝えたいことは何ですか?
A.太田に残って欲しいということですね。秋田にいて素晴らしい仕事をしている人はいっぱいいます。地元で家族を持ってもらったら嬉しいですね。

この答えを聞いた中学生からはこんな質問も
Q.東京に行きたいと思ったことはありますか?
A.ないですね。知らないたくさんの人より、自分の近くの人に頑張る姿を見てもらって喜んでもらいたいですから。
この返答を聞いた中学生からは「地元で夢を叶えている姿がすごくかっこいいと思います。私も地域の人に恩送りできるように頑張りたいと思います」と答えていました。

 

講演後は、太田中学校吹奏楽部の演奏に合わせて、参加者全員で秋田県民歌を1番から4番まで高らかにうたいました。きっと、心を一つにうたいあげた県民歌は、天国の政嗣と為三にも響いたことと思います。

県民歌をキーワードに、まさしく講演会の趣旨である、太田の良さを再認識すること、地域住民の教養と文化意識の高揚をはかることができた「文化講演会」だったと思います。
裕樹さん、中学生にも大人にも響く講演をありがとうございました。